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今日は久しぶりに『雲の研究』です。
皆さんご存知、積乱雲をお送りします。
夏も終わりに近づきましたが、
夏の代表、積乱雲(入道雲)です。
いつものようにギャヴィン・プレイター=ピニー氏の
『「雲」の楽しみ方』から抜粋します。
積乱雲
━そそり立つ怒れる王「かみなり雲」
雲は気ままで気さくなふわふわの友人だ。
但し、多分例外が一つ・・・それは積乱雲だ。
荒れ狂う天気の日には、この積乱雲の活動が
最高潮に達していると思って間違いない。
巨大な積乱雲は、滝の様な大雨や大降りの雹、吹雪、
雷、突風、竜巻、ハリケーンなどを巻き起こして
多くの人命を奪い、土地家屋に甚大な被害をもたらす。
雷を落として子供たちを震え上がらせもする。
発達した積乱雲は、世界最高峰のチョモランマよりも
はるかに高くなる事がある。
最大級のものは熱帯地域に発生しやすく、
地上600mの雲底から盛り上がって
18,000mもの高さに達する。
これほど巨大な積乱雲の内部エネルギーは、
広島に落とされた原爆の10倍にも相当する。
別名「雲の王」と呼ばれるのもむべなるかな、だ。
しかしそんな名も、私(ギャヴィン氏)にはまだ
甘っちょろく聞こえる。
私は積乱雲を雲界のダース・ベイダーと呼びたい。
『スター・ウォーズ』の悪役と同じく、
数多くの雲の中でも最も特筆すべきキャラクターだ。
ダークサイドのフォースを操るその姿と比べたら、
息子のルーク・スカイウォーカーなど
━こちらはお天気雲の積雲━
へなちょこ野郎だ。
この魔物が暴れている時には、草の上に仰向けに寝て
ひつじ雲を見上げる様な暢気な事はしていられない。
「雲の王」積乱雲は怒り狂った王だ。
積乱雲は飛行機にとっても、恐ろしい敵だ。
大粒の雹は機体をひどく傷つけ、雷は電気系統を破壊する。
雲頂の過冷却の水滴は、
翼を氷の膜で覆って飛行機を航行不能に陥らせる。
最大の危険は、雲の中心をなす強力な乱気流に
パンケーキよろしくひっくり返されることだ。
そんな積乱雲をパイロットが
なんとしても避けようとするのも不思議はない。
迂回出来ないとなると、高高度を飛べる飛行機なら
雲の上を飛び越そうとする。
(イメージです)
1959年の夏、アメリカ空軍の
ウィリアム・ランキン中佐が試みたのがまさにそれだ。
乗っていたジェット戦闘機のエンジンが故障し、
ランキン中佐は飛行機から脱出せざるを得なくなった。
そして雲の王の中心部を落下するという恐怖の事故から生還し、
その体験を語ったただ一人の人物として
一躍世界に名が知れ渡ったのである。
それは、マサチューセッツ州にある海軍サウスウェーマス航空基地から
ノースカロライナ州ビューフォートの所属部隊の本部を
目指した70分の飛行中の事だった。
出発前、ランキン中佐は空軍基地の気象予測担当官から
途中で雷雨に遭うかもしれないと聞いていた。
雷雲は9,000〜13,000mの高さに達する事がある。
中佐は第二次世界大戦と朝鮮戦争で受勲した歴戦の軍人だ。
それくらいの飛行は朝飯前だった。
搭乗予定の飛行機がゆうに15,000mまで
上昇出来るのは分かっていたから、
嵐の上を難なく飛び越える自信があった。
もちろん、雷雲の真上でエンジン故障にみまわれなければの話だが。
離陸から40分後、ヴァージニア州ノーフォークに近づいた頃、
ランキン中佐は前方に
典型的な積乱雲が発生しているのに気づいた。
荒れ狂う嵐が真下の町を襲い、
雲は巨大な対流に乗ってもくもくとキノコの様に膨れ上がっている。
雲頂はおそらく13,000m。
サウスウェーマス航空基地で
気象担当官に警告されたよりも高い。
中佐は14,600mまで上昇して雷雲をかわす事にした。
高度14,300m、速度マッハ0.82で、
雲を越えようとしたその時だ。
ドカンと大きい音が聞こえ、
後方でエンジンの回転が落ち、
「火災発生」の赤い文字が点滅し始めたのだ。
この様な原因不明の突然のエンジン停止は100万回に1度の
滅多にない事故で、
ランキン中佐は速やかに行動しなくてはならない事を分かっていた。
エンジンの停止した飛行機は制御不能になり、
中佐は反射的にレバーに手を伸ばした。
補助電力を作動させて緊急用の電気系統を回復させるのだ。
ところが、レバーを引いて中佐は青くなった。
手応えがないのだ。
まるでバスター・キートンの喜劇の1シーンの様だが、
中佐にしてみれば笑っている場合ではない。
身に付けているのは夏用の薄手の飛行服だけ。
その高度で脱出するのは、最良の条件でも
前代未聞だ。
ましてや機密服も着ずにそんな事をするのは
自殺行為だった。
「外気温はマイナス50℃に近かった。」と
ランキン中佐は後に振り返っている。
「凍傷になっても傷は治るだろうが、
上空15,000mでの『爆発的な』減圧は?
真下の嵐は?飛行機がこんなにボロボロになるなら、
生身の人間は一体どうなってしまうのだろう?」
考えている暇はなかった。
はっと我に返った中佐は、頭の後に手を伸ばして
脱出レバーを思い切り引く他に、選択肢はないのだと気付いた。
ほぼ午後6時きっかり、
ランキン中佐はコックピットを脱出し、
雲に向かって落下し始めた。
今日はここまでにしましょう。
次回をお楽しみに。
今日も写真はYahoo!検索から。
『雲の峰』
入道雲の事。この雲は、地方によって
「坂東太郎」や「丹波太郎」の呼び名はあっても、
長く標準語の呼び名がなかった。
貴族達の短歌や連歌の題材にもほとんどならなかった。
俳句では、漢詩の影響で
芭蕉が「雲の峰」の語を使って以後、
夏の季語として使われるようになった。
━『雲の言葉』300語より
ちなみに・・・
雲の峰 幾つ崩れて 月の山
芭蕉『奥の細道』
『モーニング・グローリー』も最後になりました。
今回も『「雲」の楽しみ方』(ギャヴィン・プレイター=ピニー著)
から抜粋します。
モーニング・グローリー
(つづき 03)
最初にこれを体験した人、
誰一人そんな事出来るとは思ってもいなかった頃に、
真っ先にグライダーで上昇して
この雲で波乗りをした人は、
どんな風に感じたのだろう?
この問いに答えられるのは世界で二人だけ、
そしてその一人がラッセル・ホワイトだ。
バークタウンに集まったグライダー乗りたちは
始終彼の名を口にしていた。
ホワイトはグライダー乗りの伝説的存在だった。
モーニング・グローリーでのソアリングに
彼らがこれほど夢中になったのも、
そもそも1989年の春にホワイトと相棒のロブ・トンプソンが
初めての飛行に成功したからこそなのだ。
ホワイトもモーニング・グローリー詣での常連だが、
今年はバークタウンに来られなかった。
私(ギャヴィン氏)は彼の自宅に電話して、
この雲との最初の出会いについて訊ねてみた。
ホワイトとトンプソンは飛行機でグレート・バリア・リーフへ飛び、
船に乗って数日を過ごすうちに船長から
この珍しい雲の話を聞いた。
二人共、山に発生する気流で長年グライディングを楽しんでいた。
UFO形の高層雲のレンズ雲を作るのは空気の定常波だが、
モーニング・グローリーを作るのは移動する波だ。
二つの違いは、川の水の流れが大きい石を越える時に
静止して見える水面の波頭と、
海岸に打ち寄せる進行波の違いと同じ事だが、
二人はどちらの気流でも
グライディングの原則は同じはずだと考えた。
モーニング・グローリーの動く波に乗れたら、
きっと素晴らしいに違いない。
二人は確かな予感を胸に、
船上でビールを飲みながら決めた。
明日、その雲を見つけにホワイトのモーター・グライダーで
バークタウンへ飛ぼう。
ホワイトは振り返る。
「到着した途端に、職場でトラブルがあって
翌日に帰らなければならなくなった。」
がっかりしてベッドに入った二人だったが、
もし翌朝モーニング・グローリーがやって来たら、
出発前に挑戦してみようと心に決めていた。
「目覚まし時計は飛行機に積んだままだったし、
まだシャワーを浴びているところだったが、
その時ロブが部屋に駆け込んで来て
『きたぞ!』と叫んだ。」
取るものも取り敢えず飛行機まで車に乗せてもらい
グライダーで滑走路を走り始めた時には、
近付いて来る雲はほとんど頭上まで達していた。
「モーニング・グローリーを避けて離陸したよ。」
グライダーがこの雲に向かって絶対に離陸してはいけない事は、
今では常識だ。
「その時はやり方など決まっていなかった。
何度も飛びながら自分たちで決めていったんだ。」
雲の方へグライダーの向きを変えると、
高度300mに達しないうちに機体を押し上げる
気流の力を感じた。
「あんなに素晴らしい飛行はないよ。」
ホワイトの声は上ずっている。
「二人共感動のあまりぼうっとしてしまった。
この雲を発見し、それでサーフィンしたんだって思うと、
もう有頂天だったね。とにかく凄かった。」
この記念すべき日に二人が乗ったモーニング・グローリーは
どちらかといえば小さめで、
長さはわずか50km弱、高さは900mだった。
1時間半の初飛行を終えた後も、
二人はまだ熱に浮かされたようだった。
南への帰路の途中、
オーストラリア屈指のグライディング・クラブで
モーニング・グローリーを飛んで来たと触れ回った。
「誰も信じてくれなかったよ。」
とホワイトは笑う。
「取り合ってもらえないんだ。
皆、作り話だとしか思わない。
それで翌年、カメラを持ってもう一度出かけたんだ。」
グライダー雑誌に掲載されたホワイトの記事や、
続いてトンプソンが撮影した
短い記録映像を通じて評判が広まり、
スリルを求めて春のバークタウン詣でをする者が現われ始めた。
と言っても、今日までに実際にこの雲を飛んだ者は
数十人にすぎないだろうという。
モーニング・グローリーのパイオニアになって
鼻が高いでしょうねと訊ねると、
ホワイトはこう答えた。
「そりゃあ大満足さ。
ヒマラヤ山脈を見た事のない人に、
どんな眺めかを正確に伝えられるだろうか。
とても無理だね。自分の目で見るしかない。
モーニング・グローリーも同じ。
途轍もなく素晴らしい体験だが、
それを知るにはそこへ行くしかないんだ。」
宿に戻り、祝宴の席で料理をビールで流し込みながら、
私はそこに集合したグライダーマンたちに
『雲を愛でる会』を設立した事を話した。
そして我らのふわふわした友を弁護する為に
練習を重ねたスピーチを披露し始めた。
もしも来る日も来る日も青一色の空ばかりだったら、
人生は退屈でしょう━
私は声を張り上げ、
アメリカの随筆家ラルフ・ウォルドー・エマソンの言葉を引用した。
「空は日々の糧であり・・・
比類ない天上の美術館だ。」
そしてさらに続けた。
「雲は大気の顔です。
雲は自らの気持ちを表現し、
目に見えない気流の状態を教えてくれるのです。
そして・・・雲は大自然の紡ぎ出す詩だ・・・」
という件にいよいよ入ろうとした処で、
皆が笑っている。
中の一人が言った。
「雲の間を飛んでいると、心が安らぐんだよ。
空の上では飛んでいる鳥たちと仲間になれる。
オナガイヌワシみたいな鳥も
一緒に飛んでくれる。
雲の中にいると、創造主の存在を
信じずにはいられないよ。」
想いを同じくする雲ウォッチャーでなければ、
誰がこんな遠くのちっぽけな町などにやって来るだろう?
遥々地球の裏側まで来て、
釈迦に説法をしてしまった。
これで、『モーニング・グローリー』はおしまい。
次は、どんな雲でしょうか?
今日もYahoo!検索のお世話になりました。
『雲知らぬ雨』
雲から落ちたのでない雨、
つまり涙の事。
━『雲の言葉』300語より
今日も『モーニング・グローリー』です。
今回もギャヴィン・プレイター=ピニー氏の
『「雲」の楽しみ方』から抜粋しました。
モーニング・グローリー
(つづき 02)
近くのベンティング島に住むアボリジニの老婦人が、
モーニング・グローリーを運んで来る風を呼ぶ
伝統的な踊りを知っているという。
迷わず私(ギャヴィン氏)は霊力にすがるべく島へ渡る手配をした。
望み薄なのは百も承知だったが、
とどのつまりは、溺れる者は藁をも掴むの心境だった。
ベンディング島のコンクリートの波止場で船を降りると、
マングローブの木陰で女たちがおしゃべりしていた。
アボリジニの女たちとモーニング・グローリーとの係わりは、
他所からやって来るグライダー乗りや科学者のものとは
かなり違う事が間もなく分かった。
「『イッピッピー』と呼んでいたよ。
アボリジニの言葉ではそういう名前だった」
アボリジニの女、ネッタが言う。
この名前には、雨期を運ぶ雲と言う意味があるそうだ。
雨季は10月後半あたりから始まる。
「風が吹くとイッピッピーを連れて来るから、
用心するようにって、母さんはいつも言っていた。
それから、滝の様な土砂降りがやって来る。
『ダンダーマン』と言うんだ。とても危険な雨だよ。」
数年前に小型飛行機が海に墜落した話をしてくれた。
アボリジニ4人を乗せ、本土へ向かう途中の事故だった。
いくつものモーニング・グローリーが
1度に現われるという珍しい現象のせいだ。
「四方八方からイッピッピーがどんどんやって来た。
━全く突然にね」
事故があったのは朝の早い時間だったという。
「あの雲が回転して集まって来るのが見えたよ。
そう、雲のやつらは笑いながら言ってた。
こんな天気に飛行機を飛ばすなんて、
どうかしてるぜって」
ネッタは声を震わせた。
妹がその飛行機に乗っていたのだという。
「午後になって、やっとプールの飛行機が捜索に来た。
遺体は一つも見つからなかったよ・・・
見つかったのは妹のバッグだけだった」
ちょうど前日が4人の命日だったという。
モーニング・グローリーは
北東のヨーク岬半島方向からやって来るとは限らないと、
クリスティ博士が説明してくれたのを思い出した。
まれに南や南東から現われる事もある。
その場合に雲を発生させる空気の波を作るのは、
マウントアイザの北の高地上空に発生した雷雨の活動だそうだ。
モーニング・グローリーがあちこちから来て行き交うと、
その地点の大気が大きく乱れるから、
極めて危険だとも博士は言っていた。
悲劇的な事故に見舞われたにもかかわらず、
ベンディング島の女たちは
雲に恨みを抱いてはいないらしい。
自然の破壊力の前では、
なすすべはないのだと諦めているようだ。
ネッタはそこにいた島の年寄りの中でも長老格のドーンに頼んで
「ワムーア」ダンスを踊って
モーニング・グローリーを連れて来る風を
呼んでもらおうと言ってくれた。
ドーンは浜の砂を一つかみして宙に撒くと 、
足踏みをしながら歌い始めた。
孫たちはくすくす笑いながら祖母の動きをまねる。
儀式が伝えられているようでもある。
「風が来るのが分かる?」とネッタが聞く。
そよ風がふわりと吹いたような気がしたが、
島を去る時に聞こえた椰子のかすかな葉ずれが
イッピッピーを連れて来る風だとは思えなかった。
はたして、翌朝は何も来なかった。
私の浮かない顔を見てプールが言った。
「好きな時に出したり引っ込めたり出来るわけがないのさ。
全く、英国人客ってのは
何でも思い通りにしたがるんだから!」
だがその日、私は運が向いてきた気がしてきた。
北東から又海風が吹き始め、
午後にはパブの男が、冷蔵庫のガラスドアが
かすかに曇っているのを見せてくれたのだ。
そして翌朝5時、窓の外に目をやると地平線に
黒っぽい線が見えた。
こいつだ。
手探りで慌てて服を着ると、
宿の前の人気のない道路に飛び出した。
まだ暗く、犬が一匹狂ったように吠えている。
あたりで風が吹き出すのを感じ、
それと同時に雲が道路の向こうに達した。
満月の光に照らされて、
高く盛り上がった雲の滑らかな前面が、
氷の様に冷たい光沢を放ちながら
地平線の両側へ伸びている。
茫然と立ちすくんでいると、
雲は町の制限速度をやや超えるスピードで
道路の向こうからこちらに向かって来た。
前面の襞や起伏が迫り上がって行き、
雲頂の向こう側に消えて後ろにくるりと
一回転したように見えた。
巨大だ。
通り過ぎざまに月も南十字星も遮って町を影で覆う。
雲の背面は前面と全く違い、
積雲に似たカリフラワー状のでこぼこした雲の襞が
月光を浴びて銀と黒に染まって降りて来る。
これこそ、遥々地球を半周して見に来た雲だ。
しかし、やって来たのが夜明け前だったので、
見えたのは一部分だけだった。
コーヒーを飲もうと宿に引き返す私の気分は、
まるで人食いザメを退治しに来たのに
水面を割ったひれがちらりと見えただけ、
といったところだ。
明け切った朝の光の中で、
この怪物の全貌をしかと目に収めるのが
待ち遠しくてたまらなかった。
飛行場へ行くと、グライダーが増えていた。
遊覧飛行のパイロットをしているリック・ボウイは、
バークタウン通いは3年目で、
「モーニング・グローリーはすごい揚力が得られるからね、
それがどんなものか実感できるよ。
時速260キロで飛んだ事もあるんだ」
モーニング・グローリーの前面で生じる頼もしい揚力は、
どんなに大胆な操縦にもチャレンジ出来る
理想の条件なのだという。
「雲の正面の真上まで飛んで、
サーフィンみたいに滑り降りるんだよ」
ボウイは片手を大きく広げ、
グライダーの動きを真似てみせる。
「片翼の先を雲の中に入れたまま、
雲の表面に沿って下りる
━雲の底まで一気にね。
曲芸飛行や宙返りも出来る・・・」
それにしても、危険ではないのだろうか。
「ああ、この回転する空気の波には
たっぷり用心しなくては。
何をするか分からないからね。
波が海から内陸に入って衰えたら、
揚力もなくなってしまうよ」
雲の中心部と後部の下降気流による乱気流は、
何が何でも避けなければならない。
サーファーが通常の海の波の上で転倒したら、
びしょ濡れになる。
グライダー乗りがモーニング・グローリーに乗っている時に
高度1200mの所で同じ事が起こったら、
もっと恐ろしい事になる。
ボウイは注意してくれた。
「この辺は辺鄙な所だし、
ワニがうようよしているから気を付けないと。
パラシュートで着地しても、
誰もすぐには駆け付けてくれないよ」
その夜、男たちの間で期待が高まるのが感じられた。
翌朝のモーニング・グローリーの再来を告げる
あらゆる兆候が見られたのだ。
海風は一日中吹き、
カフェのテーブルは四隅がひどく反り返り、
ワイリー爺さんと私はパブのカウンターに立って、
冷蔵庫のガラスドアが間違いなく曇っていると確認し合った。
いよいよだ。
ただ一つの気がかりは、前回ほど人迷惑でない時間に
現われてくれるかどうかだった。
早起きがきつい訳ではない。
明るくなってから来てくれない事には、
グライダーで飛び立って
雲の波乗りをするのは無理なのだ。
午前5時に飛行場に着くと、もうお馴染の面々が
滑走路に勢ぞろいしていた。
私はボウイのグライダーの翼に付いた水滴を
拭き取るのを手伝った。
水滴が付くのはそれだけ空気が湿気を含んでいて
雲日和だという事だから、
有難い兆候である事はあるのだが、
翼の上を通る空気の流れが変わってしまうので、
グライダーが制御しにくくなるという。
飛行出来る明るさになると、グライダーマンたちは
待ちかねたとばかりに愛機に乗り込み、
昇る朝日に向かって次々と飛び立った。
プールと私も急いで後を追う。
こちらに向かって回転して来るのは、
1つでなく3つのモーニング・グローリーだった。
1番手前の雲の表面は滑らかで光沢があり、
地上から150mの空にまるで雪を被った
巨大な氷河が浮かんでいる様だ。
2番目と3番目の雲は最初の雲が通った後の
乱気流で膨らみ、むくむくした凹凸がある。
空中から見ると、3つの雲は途轍もなく長く、
湾に沿って両方向にうねっていく。
離陸する前にセスナ機のサイドドアを外しておいたので、
雲と私を隔てるガラスはない。
雲はとても清らかで、滑らかで、明るかった。
その上に飛び降りてみたくなるほどだった。
1番目の雲を背にしたグライダーは、どれもちっぽけに見えた。
サーファーの様に、グライダーマンたちは
雲の先端で下向きに滑空する。
急降下する様にスピードが上がるが、
波の前面では絶えず揚力が生じる為、
急降下と言っても高度を保ったままの急降下だ。
それから今度は雲の正面の斜面に沿って昇って行き、
片翼を下げて機体を大きく傾け、方向転換する。
遠くから眺めると、ボウイが雲の正面の前で宙返りしている。
昇り始めた朝日を浴びて、グライダーの翼が
白く艶やかなサーフボードの様に煌き、
巨大な空気のうねりを切り裂いていく。
ケン・ジェレフが今年見る事の叶わなかった
この光景を目にしたら、
どんなに悔しがるだろう。
ジェレフはこう言っていた。
「飛び始めて10分か15分すると、
雲の上に太陽が顔をのぞかせる。
振り向くと、ふわふわした巨大な雲の波の後ろから
金色の太陽が姿を現わす。
まるでルネッサン期のイタリア絵画の様な眺めだよ。
ここは天国みたいな気分になる。
それ程素晴らしいんだ」
ジェレフの言った通りだ。雲はまばゆく輝いている。
「この雲でのソアリング(滑空)がどんなものかは、
実際に体験しなくちゃ分からない。
時々頬をつねりたくなるよ。
本当の事なんだぞって」
この雲に会う為に遥々地球の裏側からやって来て、
ついにこうしてお目にかかれた。
太陽は既に北東の水平線を離れ、
私は手をかざして眩しい光線を避けた。
雲の表面を光が流れ落ち、
襞に沿って長く暖かい影が出来る。
空気の波が前進するにつれて雲の凹凸が
ゆっくりと迫り上がり、
そして雲頂を越えて見えなくなった。
今日は、モーニング・グローリーに出会えたところで
終りにしましょう。
今日の写真もYahoo!検索から。
次回も続きますよ。お楽しみに。
『雲に梯(カケハシ)霞に千鳥』
雲に橋をかけるのが無理なように、
達し難い望みの事。
春の霞と冬の千鳥も、
あり得ない組み合わせや相応しくない事。
昔の恋文の常套句だった。
━『雲の言葉』300語より
今日は『モーニング・グローリー』の続きです。
いつもの様にギャヴィン・プレイター=ピニー氏の
『「雲」の楽しみ方』から抜粋します。
モーニング・グローリー
(つづき 01)
1860年代に牛飼いの為の
物資供給拠点として拓かれたバークタウンは、
湾岸地域北部の湿原地帯と
南部の草原地帯を分ける
自然の境界線上に位置する。
この地方では最も古い町で、
サイクロンや伝染病や黄熱といった
災禍をくぐり抜けてきた。
いかにも僻地の町らしく、
赤土の埃っぽい道路沿いに
土台の不揃いなトタンの建物が点在している。
ジープを走らせていると、
暖まりつつある朝の空気の中で、
大型で灰色のオーストラリアヅルが
幹線道路を悠然と歩き、
ワラビーが慌てて茂みに逃げ込む。
1865年に建てられた税関の建物が
当時のまま保存され、
町でただ一軒のパブになっている。
そこで出会ったフランキー・ワイリー爺さんは、
店に入り浸りだ。
ワイリー爺さんには、しょげている雲ウォッチャーを
元気づけるのはお手のものの様だった。
「あの雲はいつ現れるか分からんのだよ。
9月の末にやって来るというが、
1月になるまで来ないかもしれん。
確かな事は分からんのだ、誰にもな。」
爺さんは「駐車禁止」のマークが付いたバーの椅子に腰かけ、
名入りの革の保冷ホルダーに入れた
ビールの小瓶を手にして思い出話を語り出した。
「初めてモーニング・グローリーを見たのは、
ここへ越してきた79年だった。
むろん、ただの雲なら世界中どこにいたって
やって来るのが見られるさ。
だがな、やつはひっくり返るんだよ。」
そう言いながら両手をまわし、
円筒状の雲が向こうから
ぐるぐる回転しながら近付いてくる様子を
身振りで表わす。
「この雲が近付いてくるのを見ると、
ちょっと待てよ、何か変だぞ、と感じる
(爺さんは酔いを醒まそうとする様に頭を振る)。
目がおかしくなったか、さもなきゃ飲み過ぎだ。
到底、信じられんからな。」
店のコルクボードには、
地元の釣り人たちの写真と一緒に、
町の上空を通り過ぎる巨大な雲の写真も
何枚か貼ってある。
「この雲がやって来ると、土も葉っぱも、
なんでもかんでも巻き上げちまうが、
通り過ぎた後は空気がぴたりと動かなくなる。
全くの、完全な無風状態だ。
実に奇妙な体験だよ。
どうしてあんなふうに風が止むのかね。」
首都キャンベラにあるオーストラリア国立大学地球科学研究所の
ダグ・クリスティ博士なら、そんな疑問にも答えられる。
そこで翌日、公衆電話から博士に連絡を取った。
電話ボックスはバークタウンの郵便局の外にあり、
その郵便局のカウンターの上にも
別のモーニング・グローリーの写真が飾られている。
これほどの田舎町では、
雲は有名人並みの待遇を受けるらしい。
ニューヨークのピザ屋に、
ロバート・デ・ニーロがピザ・マルゲリータを注文している
サイン入りの写真がこれ見よがしに飾ってある様に、
バークタウンではあらゆる公共の場所に、
この有名な春の珍客が来訪した
記念の印が残されているのだ。
私はそうした写真に出くわす度に、
ますますこの目で見たいという気持ちが強くなった。
クリスティ博士は
「大振幅の大気波の擾乱(ジョウラン)」が専門で
モーニング・グローリーの世界的権威とされている。
博士は1970年にオーストラリア中央部にある
同大学の研究施設で、
超高感度の微気圧計装置の示す数値に関心を抱いた。
原因は非常に大きな大気の波だと考え、
発生場所がカーペンタリア湾であることを突き止めた。
北へ600キロ余りも離れた所だ。
1980年に初めてバークタウンを訪れて以来、
クリスティ博士はこの地域で多数の実験を行ない、
モーニング・グローリーという現象について
現在最も受け入れられている説を打ち出した。
博士によれば、この雲は巨大な空気の
「孤立波」の中心で発生する。
空気の波が生まれるのは湾の北東対岸の
ヨーク岬半島上空らしく、
それが一個の独立した波頭となって移動する。
「ヨーク岬半島上空で、互いに反対方向に吹く
海風の気流が衝突して
この波が出来る事はほぼ確実です。」
と、クリスティ博士は説明する。
「しかし、この大気波の擾乱について
詳しい事はよく分かっていません。
不可解な事がたくさんあるのです。
例えば、何故これほど様々なタイプの
モーニング・グローリーがあるのか。
孤立波がたった一つか二つの時もあれば、
いくつも連続する時もある。
非常に長い距離に渡って広がる場合もあるし、
全く広がらない場合もあるのです。」
私は、同種の雲は他の場所でも
現われないのかと博士に訊ねてみた。
「アメリカの中央部で発生しますよ。
イギリス海峡でも例があるし、
ベルリンに押し寄せる霧もほとんど同じもので、
殊に1968年に発生した霧がそうでした。
ロシア東部でもあるし、
オーストラリアは沿岸部ならばほぼ全域で目撃されています。」
なんだって?私(ギャヴィン氏)はイギリス海峡で
見られたかもしれない雲を拝む為に、
わざわざ地球の裏側まで来たってことか?
しかし、博士は雲ウォッチングをしにバークタウンまで
来た甲斐は大いにあると言って安心させてくれた。
ここで見られるモーニング・グローリーは
他に例がないほど桁外れに規模が大きいというし、
更に心強かったのは次の言葉だった。
「長年研究を続けていますが、
特定の季節に見られる
確率が高いと分かった場所は、
いまだにここだけです。」
要するに、ここより他の場所では、
いつ見られるか見当もつかないのだ。
天侯のどんな条件に気を付けていればいいかを
博士に訊ねると、
「いい海風が一日中吹いて、
海の水蒸気をたくさん運ぶと同時に、
いい『導波路』が出来る」のを
待つようにとの答えだった。
導波路というのは、雲の通り道の空気が
平らにならされた状態と考えればいい。
その状態になると、
孤立波が湾を渡って来る時に壊れて
消散してしまう可能性が低いのだ。
これらの条件に加えて、
ヨーク岬半島上空に気圧の尾根が出来れば
「モーニング・グローリーが見られると
保証されたようなもの」だそうだ。
地元の人たちは「気圧の尾根」など
気にかけるたちではない。
彼らなりに、科学とはやや縁の薄い方法で
雲の訪れを予測する。
その一つは、いうまでもなく
ビールに縁がある。
モーニング・グローリーが発生するだけの
充分な湿気がある時は、
パブの冷蔵庫のガラスドアが曇る。
もう一つの目安は、
ポール・プールのカフェの安っぽい
木製テーブルの四隅がやはり
湿気で反り返ることだ。
しかし、念の為に4時半に起きてみた翌日も、
その又翌日も、
冷蔵庫のドアは曇らず、
カフェのテーブルは見渡す限り
果てしないサバンナさながらに平らだった。
今日は、ここまで。まだ、雲に出会えませんでしたね。
つづきは次回をお楽しみに。
写真とイラストはYahoo!検索でした。
『雲隠』
雲に隠れること。人が行方をくらますこと。
「くもがくり」ともいう。
源氏物語の雲隠の巻は、巻名のみで本文がなく
光源氏の死を象徴する。
━『雲の言葉』300語より
今日は、特別編です。
『モーニング・グローリー』の第1回目は
いつもの様にギャヴィン・プレイター=ピニー氏の
『「雲」の楽しみ方』からの抜粋です。
『モーニング・グローリー』
━めったに見られない黄金の雲
数年前の事、私(ギャヴィン氏)は暇に飽かして
雲の本の写真に見入っていた。
その時に見た事もない『雲』に出くわした。
その航空写真に写っていたのは、
とてつもなく長くて滑らかな円筒状の低い雲で、
まるで白いメレンゲのかかった長いロールケーキが
前後に青い空を広げて
地平線の端から端まで伸びている様だった。
それが、蛇行する川とマングローブの湿地の
異国らしい匂いのあふれた風景の上に広がっている。
層積雲に見られる特殊な形の雲、
「ロール雲」という事になるのだろうと
見てとったが、ありふれた雲の一つに数えてしまうには
あまりにも壮麗だ。
それもそのはず、写真に添えられた解説によれば、
特別に「モーニング・グローリー」という名前が付けられていて、
「この雲が通過していくのを見ると感動で胸がいっぱいになる」
と言うのである。
雲ウォッチャーの人生は、
本を眺める為にあるのではない。
私はその場で心に誓った。
モーニング・グローリーが見られる場所を突き止めよう。
そしてこの美しい雲をこの目で見よう、と。
そのすぐ後に、この雲がオーストラリアでも
とりわけ辺鄙な土地でしか発生しないと書かれていた。
クィーンズランド州北部のガルフ・サバンナ地方。
ただその雲だけを求めて
地球の裏側まで行くだなんて、
いかに熱烈な雲ウォッチャーでも粋狂にもほどがある。
誓いを立てるのは少しばかり早過ぎたかもしれない。
ところが、知れば知るほどこの雲への興味が膨らんだ。
モーニング・グローリーは、なんと
イギリスの国土と同じ1000キロもの長さに伸び、
最高時速約60キロで移動するらしい。
しかも、勇猛果敢なグライダーマン達の小さなグループが、
毎年この雲との遭遇を期待して
オーストラリア中から集まって来ると言う。
春の9月から10月にかけて、
彼らはこの雲が発生する
バークタウンという田舎町で待機する。
目的はただ一つ、この雲の上昇気流を利用して
長時間滑空するのだ。
モーニング・グローリーでの「ソアリング(滑空)」は
グライダー乗りの夢と言われ、
その体験はまさに雲の波乗りと形容するしかないと言う。
にわかにオーストラリアが遠く感じられなくなった。
オーストラリア人のグライダー乗り達と酒を酌み交わしながら、
究極の雲が頭上に押し寄せるのを待つ・・・。
伝説の大波を追うサーファー達の青春映画
『ビッグウェンズデー』を、
オーストラリアの空に所を変えて実体験するのだ。
旅支度をしながら、私はヴィクトリア時代に
雲の研究に打ち込んだ
裕福な貴族ラルフ・アバークロンビーを思い出していた。
気象学者に呼び掛けて雲の会議を招集し、
その情熱を1896年の『国際雲図帳』の誕生に
結実させた人物だ。
1880年代後半の数年間、
アバークロンビーは雲を求めて世界各地を
蒸気船や鉄道や馬車で旅した。
その旅の体験を記した
『さまざまな緯度における海と空━気象探究旅行記』は、
さながら気象学の視点で書かれた
『80日間世界一周』といった趣だ。
彼は世界各地の雲に違いがあるかどうかに関心をもち、
結局、雲はどこでも変わらないという
結論に達した。
気象写真の先駆者でもあり、
遠い異国で出会った雲を記録した。
そうした写真の多くが、
後にスウェーデンの気象学者
H.ヒルデブランド=ヒルデブランドソン教授との共著で
1890年に出版した『雲図帳』に使われ、
この本が前述の国際版の元になったのだ。
旅立つ時には耳にアバークロンビー氏の著作の一筋が響いていた。
〈筆者のたっての願いは、熱帯低気圧に遭遇する事だった。
海でもいい陸でもいい・・・
だが、ハリケーンの季節を狙ってモーリシャスを訪れ、
台風との出会いを期待してシナ海を
端から端まで航海したにもかかわらず、
望みは叶わなかった。〉
モーニング・グローリーを追う私の旅も、
同じ結末になるのではないだろうか。
なにしろ大自然が見せてくれる芸術作品の内でも、
雲の底知れなさは極め付けだ。
見慣れた雲でさえ、いつどこに出現するかを
確実に予測するのは難しい。
何人ものグライダー乗りがこの壮大な雲で波乗りしようと、
オーストラリア大陸を延々と車を走らせて横断した揚句、
グライダーが滑走路から
ついに浮かび上がる事のないまま、
数週間後には帰路に着いたと聞く。
バークタウンは、
オーストラリア北岸の広大なカーペンタリア湾を
30キロ余り内陸に入った所にある
アルバート川沿いの町である。
人口わずか178人。はるばる地球の裏側から
旅行者が訪れるとは思えない場所だ。
300キロ程南のマウントアイザから乗った
軽飛行機の窓から見下ろすと、
広漠たる闇にちらつくちっぽけな光の集まりにすぎない。
「ああ、ここはまさに奥地だよ。」
この町で軽飛行機のチャーター便の会社を経営する
ポール・プールが、飛行場から宿へ向かう車中で言う。
「オーストラリア最後の未開拓地域だね。」
プールのチャーター便は、カーペンタリア湾に散らばる
辺鄙な町々を結んでいる。
町と町は気が遠くなる程離れていて、
間には荒涼としたサバンナの大地が広がっている為、
飛行機が唯一の理にかなった移動手段だ。
殊に12月から2月までの雨季には平野全域が
水浸しになり、町の内外の未舗装道が通行不能になる為、
住民の足としてプールの飛行機便だけが頼りだ。
プールはバークタウンの数少ない宿の一つを営んでもいる。
くたくたになって這う様にベッドに向かう私に、教えてくれた。
その日の朝にモーニング・グローリーが通り過ぎたばかりだから、
明日の夜明け頃に
又現われる可能性が非常に高いと言うのだ。
「周期的に発生するんだ」とプールは説明した。
「あの雲が現われる時は、たいてい何日か続けて
日の出の前後にやって来る。
グライダー乗りは4時半か5時に起きて支度するんだよ。」
42時間がかりの旅の後だろうと、
朝寝坊などもってのほかだった。
翌朝、私はまだ暗い5時に飛び起き、
プールのジープを借りて町の北に広がる塩類平原へ行った。
果てしない氾濫原の真ん中に立ち、
白んでいく空を見つめた。
モーニング・グローリーはいつも北東の方角から
バークタウンに近付いて来て、
遠い地平線上に黒い線になって姿を現わす。
しかし、坦々としたサバンナの上の雲ひとつない空には、
朝焼けのオレンジと薄紫と藍が広がるばかりだった。
今日の「モーニング・グローリー」は、ここまで。
続きは、次回をお楽しみに。
写真はYahoo!検索でした。
『朧雲』(おぼろぐも)
空一面に広がる灰色の雲。高層雲。
雨の前兆とされる。この雲が出ていると
太陽や月が朧に見え、夜は「朧月夜」、昼は「花曇り」となる。
春の季語。
━ 『雲の言葉』300語 より
今日は、積雲の4回目です。
いつもの様にギャヴィン・プレイター=ピニー氏の
『「雲」の楽しみ方』から抜粋します。
積雲
(つづき 03)
雲ウォッチング初心者が
下層大気の温度勾配に
精通している訳はないし、
そもそもそんな事は誰も期待していない。
だとすれば、積雲の扁平雲が巨大な雄大雲に
発達するかしないかは、
その時の成り行き次第に見える。
どちらもそんなつもりはなかったのに、
何気ない一言から本式の大ゲンカに
発展する恋人たちの
いさかいみたいだ。
そうなるのは、二人の間のぴりぴりした空気が
いつまでも消えない時、更に言うなら、
おしまいにする意思がどちらにもない時だ。
そして、もし地表近くの空気が
充分に湿気を含んでいたら、
もし日射しが強くて、大きいサーマルが発生したら、
もし雲よりも高い所にもっと暖かい空気の層がなくて
対流が止まらなかったら、
その時おとなしい扁平雲は豹変し、
並雲へと、
そして怒髪天を衝く様な雄大雲へと発達する。
積雲の発達を止めるものには、
気象学者の言う「温度逆転層」がある。
これは高度が高いほど温度が高くなる空気の層の事で、
鉛直方向に伸びようとする雲は
この層にぶつかるとそこで止まる。
積雲の上の大気がたまたまそういう状態になっていたら、
暖かい対流はもはや周囲の空気より
暖かくも軽くもなくなる。
それでは雲は上へと発達できない。
そこで頭打ちだ。
積雲は横に広がらざるを得ず、
綿の様な肩をお隣さんと寄せ合ってくっつき、
むくむくした層になって空を覆う。
さて、どちらがいいだろう?
ぶつくさ文句を言い合っていた恋人たちが
いきなり大ゲンカを始め、雨降って地固まるのと、
だんまりを決め込んでぴりぴりしたまま
行き詰ってしまうのと・・・。
どっちもどっちだが、痴話ゲンカをネタにする
テレビのバラエティ番組が好きな人なら知っている様に、
突然のケンカの勃発は見ている分には面白い。
積雲はそそり立つ巨大な雄大積雲になった後、
それで発達をおしまいにするとは限らない。
条件さえ揃えば、雄大積雲は更に発達し続ける。
低い雲底から12,000m以上の高さに伸び、
熱帯地域では18,000m近くにもなるだろう。
あたりはぐんぐん暗くなり、
雲はおどろおどろしい様相を見せ始め、
もはや積雲とは呼べなくなっている。
ここまで発達した雲は積乱雲だ。
恋人たちのいざこざが
とうとう手に負えない大ゲンカに発展し、
番組司会者が割って入って
なだめてやらなくてはならなくなるのだ。
積雲はこれでおしまいです。
写真にはいつもの様にYahoo!検索を使用しました。
次回は、お正月のNHKの再放送番組で「雲」を取り扱っていた
『モーニング・グローリー』についてお話しします。
ご覧になった方があるかもしれません。
もちろん、ギャヴィン氏も大変興味を持っていて、
これについてなんと28ページにも渡る文章を書いています。
お楽しみに。
『雲入』(くもいり)
蹴鞠で鞠を高く高く蹴上げること。
「記録が雲入りした!」というように使ってみたい言葉。
━『雲の言葉』300語より
今日は積雲の第3回目です。
いつもの様にギャヴィン・プレイター=ピニー氏の
『「雲」の楽しみ方』からの抜粋です。
積雲
(つづき 02)
私達は子供の頃、親を仰ぎ見た
━つまり、下から見上げるという動作をした━ものだが、
子供にとっては親は神に一番近いものではなかっただろうか。
だからきっと私達は、大人になると
今度は神を慕って天を見上げるのだ。
もちろん、雨が降ったり日が照ったりするからでもある。
人知の及ばない天侯に
人間の生死がかかっているのだ。
理由はどうあれ、私達は神を求めて雲を見上げ、
神と雲とを結び付けてきた。
飛行機で空を飛べる様になった今日、
雲の上に神がいないと分かってしまったのは、
寂しい限りではないか。
19世紀の中頃には、気球による空の旅が
比較的手頃なものになり、人間は
雲の高さまで近付く事が出来る様になった。
ヴィクトリア時代の批評家で文筆家の
ジョン・ラスキンは次の様に書いている。
中世の人々は、天使を載せる為以外には
雲を描かなかったが・・・
今の我々は雨や雹でない物が
雲に隠れているとは思っていない。
気球の旅が実現してから200年の間、
上昇の動力源として最もよく使われたのは
空気よりも軽い水素だった。
しかし、この様な可燃性の高い気体を
使用するのは危険だった上、
当時は高度の制御も思うに任せなかった為、
1960年代までは気球内部の空気を暖めて
上昇するのが一般的な方法だった。
気球の中の空気が膨張し、
周囲の空気よりも密度が小さくなって
上昇するという仕組みは、
晴れた日のサーマルの上昇とまさに同じ原理だ。
そういえば、焼畑や山火事で煙が立ち昇ると、
その上空にも積雲が出来る。
炎の熱が空気を暖めてサーマルを発生させ、
水蒸気を上空に運ぶからだ。
ところで、サーマルに「水蒸気」が含まれているというのは
どういう事だろうか。
又、目に見えない水蒸気が
目に見える積雲の水滴にドロンと化けるのは
どうしてだろう?
これは寒い日に息が白く見える事を思い出せば、
たいして不思議ではないだろう。
私(ギャヴィン氏)は幼い頃、秋の冷え込む朝に
よく父に連れられて
近所の公園へ栃の木の実を拾いに行ったが、
息を吐くと真っ白くなるのが
子供心に不思議でたまらなかった。
霞の様な白い息をミトンの手で払い、
父と2人して面白がったものだが、
私の作った雲は空の雲と違って
すぐにかき消えてしまうのでがっかりもした。
車まで戻る道すがら、指紋ならぬ
「息紋」が出来ないかと思ったものだ。
私の息は朝の空気の中に
すっと溶け込んで消えてしまったが、
正真正銘の雲だった。
大きさと出来る高さを別にすれば、
積雲と違うところは一つもない。
吐く息は常に水蒸気を含んでいる。
埃や汚染物質が肺に入らないように、
湿った気管支が食い止めるという
身体の仕組みでそうなるのだ。
暖かい呼気の重さの少なくとも4%は水の分子で、
この水分子はあらゆるもの、
例えば空気の成分である酸素や窒素、
その他の分子と衝突する。
このように分子の一つ一つが
バラバラに飛びまわっている状態の時の水は気体で、
「水蒸気」と呼ばれる。
個々の分子は小さくて見えない為、
空気はどれだけ水蒸気を含んでいようと
透明だ。
この水分子が結合して塊になると、
ようやく私達の目にも見えるようになる。
寒い日に吐いた息が白くなるのは、
それが起こるからだ。
暖かく湿った呼気は、
冷たい空気と混ざるとたちまち水滴になる。
気体は冷えると分子の動きが遅くなる。
呼気の水分子がそうなると、
結合しやすくなるのだ。
同じように、地面から立ち昇るサーマルは
水蒸気を空に運び、
上空の気温が低ければ、そこで水分子が冷えて
動きが遅くなり、結合する。
その一部が無数の微小水滴になって
積雲を形成するのである。
対流によって内部が逆巻いている積雲は、
何をしでかすかわからない気まぐれな雲だ。
地上から見た内部の動きは、
ゆっくりどころかのったりしているが、
遠くの物体は動きが
遅く見えるものだという事を思い出そう
(上空高く飛ぶ飛行機もカタツムリの様だ)。
実際には、雲の内部の乱気流は
活発に活動している。
そして、ひとたび発達し始めると、
晴天の空に浮かぶおとなしい扁平雲も
数時間の内に巨大な雄大雲に姿を変え、
その黒い雲底は突然の激しい雨を警戒する。
扁平雲はどうやってそこまで発達するのだろうか。
これは雲ウォッチャーがきまってつぶやく疑問だ。
地上で発生したサーマルに乗って生まれた積雲が
風に吹かれてかき消されるなら
(低い空を漂う雲にはよくある)、
何故雲の内部の空気が高く高く上昇し続け、
入道の様な大雲を作るのだろう?
サーマルが乗り捨てられた後は、
何が上昇の力になるのだろう?
せっかくのラーバランプの喩えも
ここでは役に立たない。
オイルの玉は電球から離れて
上昇するにつれて冷え、
まもなく収縮して再び沈む。
何故、発達する積雲の内部の空気も
同じ事にならないのだろうか。
それは「潜熱」というもののお陰だ。
物理っぽい話になって来たからと言って、
ここは一つ毛嫌いせずに聞いて欲しい。
晴天にぽっかり浮かぶ積雲の
気ままでいたずらな振る舞いを理解するには、
ここが肝心な所なのだ。
コンスタブルのぴりりと厳しい言葉を思い出そう。
「理解してこそ見えてくる」。
輝かしい雲の景色はもちろん誰にでも味わえるが、
雲ウォッチャーなら雲の動きについて
理解を深めて欲しい。
それでこそ雲の美しさが
奥深くまで見えてくると私は思うのだ。
凝結の時の潜熱、すなわち凝結熱とは、
自由に飛び回っていた水分子が結合して
液体になる時に放出する熱の事だ。
上昇するサーマルのてっぺんで
積雲が形成される時もこの熱が発生する。
水蒸気が凝結して液体になり、
周囲に熱を放出するのだ。
この原理は逆の状態を考えると
もっと理解しやすいだろう。
液体の状態の水は蒸発して
水蒸気になる時に周囲から熱を奪う。
こちらのほうが多少でもわかり易いなら、
夏の午後に私がジョギングして
額に汗をかいているところを
想像してみよう。
(ただし、あくまでも架空の汗、
架空の風、架空の夏の午後だ。
本当の私はジョギングをしない)。
汗は風に吹かれて蒸発し、
その時に水分子が熱を奪っていくので
私の額は少し涼しくなる。
(お陰で私はオーバーヒートせずに済む)。
その汗の水分子が私の走っている地面の上に出来た
サーマルにさらわれていくのは、
取り立てて不思議な話ではないだろう。
そして、くるくるうねる対流と共に上昇し、
昇るにつれて冷える事も
すんなり理解出来るはずだ。
汗の水分子はある程度の高さまで上昇すると、
そこでまた結合する。
雲の水滴になるのだ。
額から汗が蒸発する時に奪っていった熱は、
水分子が凝結して雲になる時に再び放出される。
この熱が科学用語でいう潜熱で、
これが小さい積雲を大きい積雲に
発達させる立役者なのだ。
水滴が出来て潜熱が放出される時、
周囲の空気がほんの少し暖まる。
すると空気は膨張して軽くなり、
エネルギーをチャージされて上昇する。
つまり雲を鉛直方向に発達させるのは、
積雲の内部で放出された潜熱なのだ。
潜熱が空気を更に上昇させ、
だから積雲は雲頂がぷっくり膨らんでいる。
こうして積雲はまるで自分の力で
積み重なる様にして扁平雲から並雲へ、
そして雄大雲へと大きくなる。
そして、雄大雲は含んでいる水分を
雨として再び地上に戻す。
その時私はまだその雲の下で
ジョギングしているかもしれない。
そうしたら、元は私の汗だった水分子が
雨になって私の額を又濡らすかも知れない。
かいた汗が巡り巡って
わが身に降りかかるのが空しくて、
私はジョギングをしないのだ。
本日は、ここまでと致しましょう。
積雲のつづきをお楽しみに。
今日の写真もYahoo!検索で調べたものです。
さて、「『雲の言葉』300語」から・・・
『お天気雲』
雲があれば必ず雨・・・ではない。
青い空にぽかりと浮かぶ、雨を降らせない積雲をこう呼ぶ。
「晴天積雲」とも。
今日は積雲の第2回目です。
いつもの様にギャヴィン・プレイター=ピニー氏の
『「雲」の楽しみ方』からの抜粋です。
積雲
(つづき 01)
では、積雲とは正確に言うとどんなものなのだろうか。
正体はただの水だと聞かされても、
納得できないだろう。
それでも雲と名のつくものはみな水で出来ていて、
だから積雲もそれ以上でもそれ以下でもない。
すると向学心の旺盛な雲ウォッチャーは、
何故地上で見るコップの水と
こんなにも違うのかと思うにちがいない。
雲が真っ白で不透明に見えるのは、
水は水でも直径数千分の一ミリという細かい水滴が
無数に集まっている為だ
(1立方メートルあたり100億個)。
この無数の微小な水滴の表面が
太陽の光をあらゆる方向に散乱させる為、
コップの水の表面に比べて、
雲はぼんやりした乳白色の塊に見えるのである。
つるつるの板ガラスとざらざらの曇りガラスの
違いに似ている。
曇りガラスは、細かい凹凸で
ざらざらした表面が光を様々な方向に反射するから
白く見えるのだ。
古代のヒンドゥー教及び仏教の説話によると、
積雲は象の霊的な親戚であり、
その為インドでは、象は夏の焼けるような暑さの後に
雨をもたらしてくれるものとして崇拝されている。
古代ヒンドゥー語で雲を表わす「メガ」という言葉は、
信徒の間で象に呼び掛ける名前として使われている。
又、サンスクリットの創造神話では、
時の始まりに創られた白象は
翼で空を飛び、
姿形を自在に変えたり、
雨を降らせたりする力があったと言う。
現在、象はこの様な霊力を失ってしまったが、
そんなスーパーエレファントの子孫、
特に色素の足りないアルビノの白象は
今日も雲と関連付けられている。
積雲の中でも中くらいの大きさの並雲は、
水滴の重さを合計すると
象80頭分に相当すると言ったら、
いささかぎょっとするだろう。
積雲の水滴は微細だが、
なにしろ途轍もない量が集まっているからだ。
今時の象はもう飛ばないのに、
象80頭と同じ重さの水が
どうやって積雲になるのだろう。
そのヒントは晴れた日に現われやすいという
積雲の特徴にある。
太陽が照っている時には、
その熱で暖められて、
サーマル又は対流と呼ばれる気流が発生する。
この上昇する空気の塊は、
飛行機で雲の中を通過する時に
軽い気流として感じられる。
ハンググライダーや鷹が積雲を目指すのはこの為だ。
積雲が機体又は鳥の体を押し上げる上昇気流の
発生場所を教えてくれる標識だと知っているのである。
サーマルは積雲に生命を吹き込む
見えない塊だ。
積雲を生み、その中を流れ、活動させる。
サーマルが水蒸気を上昇させ、
雲の水滴を10分ほど空中に浮かばせる。
それが積雲の一生なのである。
これはラーバランプの動きによく似ている。
ランプの中をオイルの小さい玉が
ゆっくりと浮いたり、沈んだりする、
あのラーバランプだ。
ランプの本体に色付きの水と
オイルの混合物が入っていて、
晴れた日の上昇気流と同じしくみで上昇する。
ランプの場合は気体ではなく液体だが、
原理は同じだ。
オイルは水よりもほんの少し密度が高く、
その為普通はランプの底に沈んでいるが、
電球を点灯するとその熱で暖められ、
膨張して密度が低くなる。
すると水の中をゆらゆらゆっくり浮かんでいく。
屋外の空気もこれと同じふるまいをする。
太陽の光で暖められた地面が
ランプの電球と同じ働きをし、
地面の上の空気を暖める。
暖まった空気は膨張して軽くなり、
周りの温度の低い空気の中を浮かんでいく。
上昇するサーマルに乗って
目に見えない水蒸気が上空へ運ばれ、
それが積雲になる。
アメリカの詩人マリア・ホワイト・ロウエルの言葉で言えば、
「青い草地に放された小さなやさしい羊・・・
白い毛を刈られたばかりの羊」だ。
忘れてならないのは、
積雲は一つ一つ独立した雲で、
空一面を覆う雲ではない事だ。
地面の一部が他よりも多くの熱を
吸収して放出する為に、
あちらよりもこちらの方が、対流による空気の上昇が
生じやすいという事が起こる。
例えば、アスファルト道路は草地よりも
効率的に空気を暖める。
日のあたる丘の斜面は陰になった斜面よりも
空気を速く暖める。
又、晴れた日に船で小島の周りを巡れば、
この現象がはっきりと観察出来る。
雲ウォッチャーなら嬉しくなるはずだ。
島の地面は周囲の海よりも容易に太陽の熱放射で暖まり、
サーマルによるふわふわした白い雲が
島の上空に浮かぶのが見えるのだ。
南太平洋の島に住む人々は
積雲を航路標識の代わりに利用し、
島が見えて来ない内から
環礁の間をうまく航行する。
積雲は上昇気流の上に出来る為に一つ一つが独立している。
そこが他の雲との見た目の違いだ。
高くそびえる透明な空気の柱の先端が
白く見える様になったものなのである。
見えない巨人が被った白髪のかつらのようだ。
そして、積雲はまもなく生みの親のサーマルを離れる。
頭からむしり取られたかつらは、
くるりくるりとゆっくり風に漂いながら崩れていく。
雲ウォッチャー初心者に積雲がこんなにも
素敵に思えるのは、
もちろん晴天の雲だからというのもあるが、
見るからに気持ち良さそうだからだ。
空を見上げ、ふんわりした白い綿雲にうずもれて
眠ってみたいと思った事のない人がいるだろうか。
神の為にしつらえられた家具の様ではないか。
だからこそ、昔から宗教画に聖人の椅子として
描かれてきたに違いない。
西洋絵画において、中世までは
神は雲から伸びた手や雲間から覗く目で
表現されるのみだったが、
ルネサンス初期からは
雲が神の台座として宗教画によく使われるようになった。
少し前の事、私(ギャヴィン氏)は
7か月ほどローマに滞在した。
夏は空に雲一つない日が多かったが、
それに反して地上の街は雲だらけである事に間もなく気づいた。
驚いた事に、通りの角という角に建つ
バロック教会では、内壁のフレスコ画に
むくむくとした白い積雲の御座が描かれ、
12使徒や聖人がそこに座って
礼拝に訪れた人々を見下ろしているのだ。
サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会
コルナーロ礼拝堂の
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニによる有名な彫刻
『聖テレジアの法悦』は、
聖女テレジアがトラバーチン大理石を削った
積雲に倒れ込もうとするところだ。
100年前からヴァチカン美術館を飾る
ラファエロとティツィアーノのルネサンス絵画では、
聖母マリアは幼子イエスを腕に抱いているか
天に昇って行くところだが、
必ずたっぷりした白い霞の台の上に支えられている。
古代ローマの遺跡フォロ・ロマーノに隣接する
サンティ・コズマ・エ・ダミーノ聖堂の
6世紀のモザイク画は、
長い衣を着けたキリストが
夕日の赤とオレンジに染まった雲の絨毯の上に立っている。
雲は天と地の間にあって、
聖なるものを分ける申し分のない宗教シンボルだった。
画家や彫刻家はもやもやとした水粒の
調度品を配する事で、
同じ図像の中に聖と俗を一緒に描く事が出来た。
キリスト教絵画を描いた多くの芸術家たちにとって、
たっぷりとした穢れない積雲は、
純潔で神々しいものを死すべき運命を背負った
罪深いものから隔てる道具だったのだ。
雲とキリスト教は手に手を取って歩んできた。
聖書にもそれを示す記述が数多く見出せる。
「出エジプト記」では、神はシナイ山の雲の中に降り、
雲が神の姿をたちどころに隠したり現わしたりした。
神は雲の柱━主の栄光の雲━をもって
イスラエルの民を導き、砂漠を渡り、
宿営の時間になると止まり、又出発の時に立ちあがった。
「使徒言行録」では、
イエスは復活した後雲に覆われて天に昇る。
又、新約聖書外典には、聖母マリアが
臨終の床に集まった使徒に見守られながら、
雲に乗って天に召される場面を
描写したものがある。
「ダニエル書」によれば、
神は白い雲に乗ってやってくるという。
雲と神の関係性が見られるのは、
キリスト教とユダヤ教に限った話ではない。
イスラムの秘教でも、アッラーは
その存在を現わす前は雲の状態だったとされている。
日本の雷神は1274年の元冦(文永の役)の時に
雲の上に座り、
モンゴル軍の大船団に向かって雷を矢の様に放って国を救った。
『西遊記』の孫悟空は三蔵法師の
西天取経の旅に随行し、觔斗雲に乗って
一瞬にして遠くへ移動した。
雲伝説はまだ尽きない。
雨雲という意味のパルジャニヤは古代インドの雨の神で、
肥沃な大地と結婚し、牡牛の姿をしていたという。
バルト海地方の神ペルコンスは、
豊穣をつかさどる雷神だ。
ケニヤとタンザニアのマサイ族の創造神ンガイは、
怒っている時には赤い雲に、
機嫌の良い時には黒い雲になって現われる。
オーストラリアのアボリジニの神ウォンジナは、
夢幻時に洞窟に降りてきた雲と雨の精霊で、
その一人が天に上がって天の川になった・・・
まだいくらでもあるが、
大体のところはお分かり頂けたと思う。
今日はこのくらいにしておきましょう。
写真とイラストはすべてYahoo!検索で調べました。
雲鬢(うんびん)
女性の髪を雲にたとえた美称。転じて女性。
━「『雲の言葉』300語」より━
今日は、積雲第一回目です。
いつもの様にギャヴィン・プレイター=ピニー氏の
『「雲」の楽しみ方 』からの抜粋です。
積雲
━うららかな空にぽっかり浮かぶ「綿雲」
レオナルド・ダ・ヴィンチは雲を
「表面のない物体」と表現したが、
なるほど、言わんとするところはよく分かる。
雲は幻に似て、おぼろげで儚い。
形は見えるのに、どこが始まりでどこが終わりなのか
捉えどころがない。
まさに雲をつかむようだ。
ところが、積雲はダ・ヴィンチのこの言葉にそぐわない。
もくもくと盛り上がった姿は真っ白いカリフラワーみたいで、
他のタイプの雲よりもかっちりと固そうだ。
私(ギャヴィン氏)は子供の頃、綿はこの雲に
長い梯子を掛けて取って来るものだと信じていた。
手を伸ばせば届きそうだ。
そしてもし本当に届いたなら、この上なく柔かいだろう。
形のはっきりした一番お馴染みのこの雲は、
雲ウォッチングの入門にちょうどよい。
積雲という名は、雲が積み重なる様に
むくむくと膨らんだ様子を指している。
雲の分類に関心のある人たちは、
積雲を扁平雲、並雲、雄大雲に分ける。
これらが積雲の「種」だ。
扁平雲が最も小さく、高さよりも幅の方が長い。
並雲は高さと幅が同じくらいで、
雄大雲は更に高さがある。
晴れた朝、上空に小さい積雲が出来る。
生まれたての扁平雲。
扁平雲もその兄弟の並雲も雨を降らせないので、
別名で「晴天積雲」とか、「お天気雲」という。
雲というと悪天しか連想しない人たちに、
お気の毒さまとVサインをしてみせるふわふわの二本指だ。
綿菓子のような白い雲がぽっかり浮かんだ
うららかな午後の空は、
一点の雲もないのっぺらぼうの空よりもはるかに美しい。
太陽の独裁を崇めるファシストに洗脳されてはならない。
お天気雲の積雲は素晴らしい夏の日の主役なのだ。
積雲には種がもう一つある。断片雲だ。
この雲はあまりふわふわしていない。
輪郭もくっきりせず、ぼやけている。
出来て10分程の年老いた積雲は崩れてこうなる。
分類上の「類」にあたる10種雲形には、
種とは別に数多くの「変種」がある。
これらは雲形を見た目の特徴によって分類したもので、
積雲にはこの変種が一つ、放射状雲しかない。
いくつもの雲が風の吹く方向に平行に並んだものだ。
ふわふわした綿雲が帯の様に並ぶ様子は、
雲の道と呼ばれる。
積雲はよい天気を連想させるが、
雲というものはどんなものも条件次第で
雨を降らせる雲に発達する。
積雲も例外ではない。
おとなしい扁平雲が、時と場合によっては
いきり立つ高々とした雄大雲になる。
この雄大雲も晴天積雲に変わりはないのだが、
巨大な雷雲の積乱雲に発達する途中で
中程度から強い雨を降らせる事があるのだ。
積雲が扁平雲から雄大雲へ、
更にそれ以上の雲へと発達するのは、
高温多湿の熱帯地域ではよくある事だが、
温帯地域ではさほどでもない。
それでも昼間に積雲が上へ上へと伸びて
雄大雲になるのが見えたなら、
午後には大雨が降る恐れがある。
雲ウォッチャーよ、警戒せよ!
「朝のマウンテン(山)は、
午後のファウンテン(噴水)」なのだ。
一目でわかる積雲の独特な形を見れば、
子供たちの絵にこの雲が描かれる訳は察しがつくだろう。
6才の子供がお絵描きすると空にぽっかりと
積雲を浮かべなくては気が済まない。
子供は雲が大好きだ。
卵から孵ったひよこが最初に目にした物に
家族の絆を感じる様に、
人間の子供も赤ん坊の頃に乳母車に乗せられて
ぐるぐる連れ廻されながら、ずっと空を見上げていたせいで、
雲との結びつきが深まるのではないだろうか。
きっとそうだ。
子供の絵なんて、首から腕が生えているわ、
目は顔からはみ出ているわでメチャクチャなのに、
小さい子供でも積雲の基本的な形は
しっかり把握出来ているようだ。
他の雲よりも簡単に描けるというのも確かにあるが、
小学生の絵に必ず積雲が見られるのは、
それよりもっと根源的な理由のせいだ。
それに積雲は雲の中で一番の基本の形という感じがする。
雲といって思い浮かぶのはこの形だろうし、
そうであればこそ、1975年に22才のグラフィックデザイナーの
マーク・アレンがBBCの天気予報用に考案したマークも
むくむくのこの雲だった。
当時の曇りマークはマグネット付のゴム製で、
テレビ局のお天気アナはそれを
イギリス地図の上にバシッとくっつけた。
アナウンサーがカメラの方を向いた隙に、
そいつが言う事を聞かずにポロリと落ちるので、
その度に私を含む全イギリス国民がフフンと笑ったものだ。
積雲は30年に渡って曇りのマークとして使われたが、
2005年にBBCの天気図は装い新たに3Dシステムになり、
雲と雨の分布の変化する様子が
リアルタイムで表示されるようになった。
この新システムによって雲に覆われた地域が
ぐんと正確に表わされるようになったが、
コンピューターによる地図の上をカメラが
ぐるぐる動いたりズームしたりすると
気持ちが悪くなると、視聴者の不評を買った。
でもそれは多分表向きの言い訳で、
皆私と同じ様に親しみ易い積雲マークと
お別れしたのが寂しかったのだろう。
雲ウォッチングは暇を持て余している時に
もってこいの遊びだが、
どんな人にも楽しむ事が出来る。
自然が誰にも分け隔てなくその姿を
見せてくれるのが雲なのだ。
どこからでも良く見えるから、場所を選ばない。
もちろん小高い所へ行けばなおいいが、
自然の美を満喫出来る美しい山へ行かなくても、
高層ビルもそれに劣らず雲ウォッチングに適している。
それよりも重要なのは、雲ウォッチングをしている時の心の持ち様だ。
雲ウォッチャーは鉄ちゃんとは違う。
いろいろな「型」を見分けてやろうと、
鉄道ファンよろしくノートとペンを手にして丘の上で待ち構えても、
がっかりするのがオチだろう。
車両番号ならぬ雲番号を書き留めようとしても、
もちろん無駄なのだ。
雲ウォッチャーはカタログ作りもしない。
雲の類と種と変種をせっせと仕分けする仕事は、
気象学者が私達に代わってやってくれる。
彼らはそれを仕事というが、
私達の雲ウォッチングはもっと優雅で思索的な楽しみだ。
物象の深い理解と、精神世界の探求を誘うものなのである。
雲を描かせたらおそらくイギリス一の画家ジョン・コンスタブルは、
空を風景画の「基調」および「情緒を表わす手段」と見なしていた。
(コンスタブルの作品)
コンスタブルの描いた雲の景色には、
その下に広がる牧歌的な風景に欠けている
ドラマと活力が感じられる。
コンスタブルは「理解してこそ見えてくる」と信じていた。
私もその意見に賛成だ。
雲がどうやって出来るのか、何故あんな姿をしているのか、
どうして姿を変化させるのか、どのように形成され、
発達するのか、どのように崩れて消えていくのか、
そうした事が分かれば、雲ウォッチャーは
単に気象原理に留まらず、もっと多くを知る事が出来る。
17世紀のフランスの哲学者ルネ・デカルトは
次の様に書いている。
「雲を見るには顔を上げて天を仰がなくてはならない為、
雲は・・・神の御座だと考えられている。
・・・だから、もし私がその性質を解明出来れば、
地球の素晴らしい事象すべてについて、
その原因をなんらかの形で明かす事が出来ると考えていいだろう。」
今日はここまで。
今回も写真はすべてYahoo!検索で調べたものです。
途中、ギャヴィン氏が「・・・もっと優雅で思索的な楽しみだ。」と
雲ウォッチングについて書かれたところが印象的でした。
朝からしゃべる雲のない空
種田山頭火
━「『雲の言葉』300語」より━
層積雲第四回目です。
いつものようにギャヴィン・プレイター=ピニー氏の
『「雲」の楽しみ方』 からの抜粋です。
層積雲
(つづき 03)
層積雲が形成されるのは、
積雲が温度逆転層の下に広がった時ばかりではない。
もう一つ、安定してのっぺりした層雲からも
層積雲が発達する場合がある。
ぼうっとしたおとなしい雲の層が集まって塊になるのだ。
低く垂れこめた覆いの様な層雲が、
どうするとむくむくしたこぶ状の雲になるのだろう?
まず、雲の周囲で風が立ち、
乱気流が生じるのが一つ。
もう一つは、薄い層雲から日の光が射し込み、
地表からサーマル(上昇気流)が緩やかに上昇して
雲をかき混ぜた時だ。
しかし、風がほとんどなく、
雲も厚くてサーマルを発生させなくても、
層雲は固まって層積雲になる。
この場合の層雲から層積雲への変身は、
雲が熱を吸収して放出する事による。
温度逆転によるメカニズム同様、
雲ウォッチャーならこれも知っておいた方がいい。
層積雲だけでなく、雲の形成全般にかかわる重要な働きなのだ。
熱の移動には四通りの形態があり、
そのすべてが雲の形成に関係している。
「対流」は、暖かい空気が上昇して熱を運ぶものだ。
ラーバランプの例は液体だが、
気体の場合と同じ様に、液体が動く事で熱が移動する。
「伝導」は、物と物が接触して熱が移動するが、
物体に沿って熱が伝わる事を言う。
暖かい部分の分子運動が非常に活発になって
隣の冷たい部分の分子を揺らし、
全体が同じ速度で振動するようになる為だ。
手の中で雪玉が溶ける時にこれが見られる。
又、前日の晩がよく晴れていると、
翌朝「放射」冷却で霧が発生しやすいのも熱の移動による。
更に、汗をかいて肌が冷える時に起こるのが「気化」で、
汗の水分が蒸発して気体になる時に皮膚の熱を奪っていく。
雲の水滴が最初に出来る時に
空気が少し暖まるのも同じ事だ。
カリフラワー状の積雲の中では、
水滴が出来る時に放出された熱で空気が膨張し、
その浮力で更に空気が上昇する。
何だか物理の授業の様になって来たが、
授業をサボろうだなんて料簡は間違いだ。
雲ウォッチャーはバイク置き場から戻って来て、
少しの間「放射」の話を聞いた方がいい。
何と言っても、四つの内でこれが一番重要なのだ。
層雲を層積雲に変身させる働きをするからではなく、
放射がなければ地球は寒過ぎて
生き物の生命を育む事が出来ないからである。
真空の宇宙から太陽の熱が地球に届くのは、
放射のおかげなのだ。
放射は「電磁波」の形をとる為、
後の三つの熱伝導とは性質が大きく異なる。
太陽から放射される電磁エネルギーの内、
可視光として私達の目に見えるのは
電磁スペクトルのごく狭い範囲にすぎない。
にもかかわらず、太陽が放射するエネルギーのおよそ45%を占めている。
9%はそれより短い波長
━目に見えないが日焼けの原因になる「紫外線」━
残りの46%は「赤外線」と呼ばれる長い波長で、
この赤外線も目に見えないが暖かく感じる。
物質はすべて電磁波を放射していて、
物質が熱いほど、
それが最も強く放射している電磁波の波長が短い
(だから物質が熱くなる時は、最初は赤く、次に黄色く、更に青くなる)。
太陽よりもずっと冷たい地球が最も強く放射しているのは、
波長の長い、目に見えない赤外線だ。
電磁エネルギーを放射する一方で、
すべての物質は特定の波長の電磁波を吸収している。
個々の物質がどの波長をどれだけ吸収するかは、
その物質を構成する原子もしくは分子の種類で決まる。
雲粒は波長の長い赤外線をより多く吸収し、
波長の短い可視光と紫外線をほとんど跳ね返してしまう。
だから雲が空を覆うと昼間は寒く
(太陽の放射する波長の短い電磁波を反射するので暖まらない)、
夜は暖かくなるのだ
(地球の放射する波長の長い赤外線を吸収し、一部を放出して返す)。
前置きが長くなったが、いよいよここで本題に入ろう。
風やサーマルの影響がなくても、
平べったい層雲がむくむくした層積雲に変わるのは何故だろうか。
層雲は雲頂が冷え、雲底が暖まる。
雲の層の上部は太陽が上から放射する短い波長の電磁波を
ほとんど吸収せずに跳ね返してしまうが、
下部は地球が下から放射する波長の長い電磁波をたっぷり吸収する。
下が暖かく、上が冷たいというのは、
どんな雲であれ不安定な状態だ。
暖かい空気は膨張し、
密度の高い冷たい空気を突き抜けて上昇しようとするからだ。
暖かい空気の一部が上昇するにつれて、
安定していたおとなしい層雲は上昇気流の渦を発達させ始め、
これが雲の層を掻き回す為に
厚い部分と薄い部分が出来る。
こうして層雲が層積雲になるのだ。
ほら、たいして難しくないでしょう?
ジョナサン・スウィフトによる18世紀の風刺小説『ガリヴァー旅行記』で、
レミュエル・ガリヴァーは奇想天外な国々を訪れるが、
中でもリリパット国は壮大な考えを持つ小人の国という事で有名だ。
しかし雲ウォッチャーからすると、
スウィフトの創り出した勇敢な旅行者が遭遇した
別の国の住民がとりわけ気になる。
ラピュタという島に到着した時、
ガリヴァーはその国が雲の上に
浮かんでいるのを見てびっくりした。
基底部の岩石層に彫り込まれた
巨大な磁石の働きで浮かんでいるのだ。
ラピュタの住民はこの磁石の向きを変えて浮かぶ島を操縦し、
王国の領土の上を動き回る。
ラピュタ住民は風変わりなやつらだった。
彼らの頭は右か左に傾いでいて、
片方の目は体の内側を向き、
もう片方の目は天空を見上げているのだ。
上着は太陽と月と星の模様で飾られていた。
雲の上に住むラピュタ国民は、
いくらか注意散漫な人種だった。
心は数学と音楽の事でいっぱいで、
いつもうわの空なのだ。
ガリヴァーがラピュタ人について最初に気付いたのは、
お供が付いていて主人の記憶を呼び起させる事だった。
お供は小石を袋に入れて
短い棒にくくり付けた物をいつも携帯し、
誰かに呼び止められると主人の耳元を、
返答が必要な時は口元をそれで殴るのだ。
なにしろこの人たちはいつも深い思索に没頭しているので、
話す器官と聴く器官を外から刺激して
気付かせてもらわないと、
口をきく事も、人の話に耳を傾ける事も出来ないらしい。
ガリヴァーは、この奇人たちと親しむ事はなかった。
数学と音楽の才能には脱帽したが、
彼らは自分だけの世界に没頭していたので、
ガリヴァーが入り込む隙はなかったのだ。
雲ウォッチャーが天空の移りゆく風景を見つめて
心を羽ばたかせている時も、
ラピュタ人みたいに雲の中に頭を突っ込んで
空想にふけっていると人に言われるだろう。
気にしなくていい。
そのとおり、空想にふけっているのだから。
そのどこが悪いものか。
これで、層積雲は終わりです。
今回の写真はすべてYAHOO!検索で調べたものです。
ラピュタに関してはスタジオ・ジブリにもお世話になりました。
次回からは、積雲をお送りします。
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