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ちなみに、メルセデス・ベンツのバスでした。
でも、1日だけ、雨が降った時、偶然、最後尾の座席にいたら、雨がどこかから、漏ってきました。!?
この2人が、ツアーに欠かせない、添乗員(日本人、Hさん)と、ドライバー(スペイン人、エンリケさん)です。
エンリケさんは、20代。第一日目の、バルセロナから始り、アランフェスから、マドリッドに帰ってくるところまでを担当しました。
時々、聞き覚えた日本語を使って、私たちを、和ませてくれました。例えば、”ありがとう”が、”アリガド”だったりします。
優しくて、温厚な人柄は、私の、スペイン男性のイメージとかけ離れていて本当に、我慢強い方でした。
法律で、12時間以上、運転してはいけないそうですが、何度か、その法を破りそうになった時、外を見て、”アッ、オマワリサン”と言って、みんなを、笑わせました。
いくつか、スペインで、見かけた乗り物を、ご紹介します。
左は、バルセロナで見た、2階建てバスで、観光用です。
これは、モンセラットの、遊覧バスです。電気自動車のようでした。
10月20日(よく晴れました!)
マドリッド→セゴビア→アランフェス→マドリッド
朝は、いつもと違って、グレードアップした、より乗り心地の良いバスが迎えに来ました。今日は、オプショナルツアーで、セゴビアと、アランフェスを一日がかりで廻ります。
セゴビアは標高、1000Mの、城塞都市。ローマ時代の水道橋(上の写真)もあれば、ディズニーの白雪姫城のモデルとなったと言われる、”アルカサル”(下の写真)もあり、スペインらしい重厚さと気高さ、両方を感じさせる落ち着いた雰囲気の町です。
町を歩きながら、足元のマンホールに、ふと目をやると、エフを重ねた、おや、これは”フェンディー”?
アランフェスの音楽は、きっとどこかで、お聴きになっている事でしょう。ギターで有名なホアキン・ロドリーゴの作曲した「アランフェス協奏曲」です。
私は、ロドリーゴが、盲目でありながら、この曲を作ったとは、知りませんでした。でも、アランフェスの王宮を巡っていると、どこからかあの曲が、聴こえてくる様でした。
王宮の内部は、残念ながら、撮影禁止でした。以前にヴェルサイユ宮殿内部を見た事がありますが、一つ一つの部屋が、贅の限りを尽くし、違った嗜好で飾られて、それぞれに驚かされるところなど、規模は違えど、どこか似通っています。
アランフェスの歴史は、大変興味深いものですが、カスティーリャ地方は、昔から、肥沃な土地柄で、”イチゴ”を栽培していたとか。住みやすい気候で、最初は、戦地で負傷した、兵士の為、そして後には、王家の保養地とされたのだそうです。
アランフェスから、バスで一度、ホテルに戻り、夜はいよいよ、最後のイベントが待っています。フラメンコのディナーショーです。
もう、上の写真で、迫力の方は伝わったかと思いますが、さほど広くないレストラン(タブラオ)で、目の前に舞台があり、ギターの伴奏にしゃがれ声の”カンテ”と呼ばれる歌が入り、手拍子と掛け声が入り乱れる。
女性の踊り手が3人に、男性が1人、でも決して複数で踊る事なく、狭い舞台で、端から端まで、所狭しと足打ち鳴らし、踊り狂う。と言うのが、ふさわしい感じ。一人一人が、個性的で、同じ振りは一切ない。大人の表現力というものを、教えてもらった様だ。
明日は、もう帰国の途につく予定。朝が早い(4時)ので、スーツケースに、荷物を詰め込みながら、朝を待つ事になりそうだ。
10月19日(晴れでも、秋真っ盛り) コルドバ→トレド→マドリッド
いよいよ、旅も終盤を迎え、今日は、コルドバを立ち、トレドを経て、首都マドリッドまで、バスは進みます。途中、車窓に現れたのは”黒い牛”の大きな看板です。確か、スペインの有名なリキュールのトレードマークで、商標権が20何年かで、切れた為、今では、絵葉書やグッズになって親しまれているそうです。
3時間のバスツアーも、ようやく終わり、最初の目的地であるトレドに到着しました。まず、市内が全貌出来るポイントに。すぐ、下には、タホ川が流れていて、カメラに気を取られていると、崖から・・・危ない!
このあたりは、グラナダ、セビージャ、コルドバなど南部と違って、植物がこの糸杉をはじめ、針葉樹が見られるようになります。
糸杉は、ヨーロッパでは、特に、墓地に多く、良くないイメージを持つ人もいますが、私は、この糸杉が大好きです。
何故、こんなに、まっすぐ上を見てすくすくと育つのか?一体、どこを目指しているのか?
青い空に、清々しくすっくと立つ糸杉を見て、何の悪気もない姿を褒めてあげたい。
トレドの昼食は、糸杉のあるホテルのレストランで、ビーフシチュー(日本のより水分の少ない)でした。デザートには、甘い(スペインの甘さは、日本の3倍ぐらい)ケーキで、〆。
午後は、また、バスに乗り込んで、町の反対側へ。トレドの町に入るには、タホ川を橋で渡り、城門をくぐり、小高い丘にある市の中心へは、なんと、1つ、2つ、・・・と数えて、8つものエスカレーターを上るのです。驚き!でも、エスカレーター(ここは、アウトドアなんです)を下りてくる市民の顔を見ると、デパートのエスカレーターに乗っているかの様に、何でもなく、日常なのだと思うと、おかしい。
上の写真の絵は、エル・グレコの傑作、”オルガス伯爵の埋葬”で、サント・トメ教会に、実際はあるのですが、レプリカが、この様に近くの通りに飾られています。ここも、本物の撮影は、禁じられているので、この絵で、その雰囲気を味わって頂ければと思います。なんとなく、伝わりましたか?実際、見た感じは、壮大な構成が、トレドの有力者の偉業を伝えていて、エル・グレコと言う人を少し理解できたような気がします。
トレドをバスで、出発して、小一時間で、首都マドリッドです。渋滞にも、巻き込まれずに、到着です。
やはり、マドリッドは、都会です。町なかのパン屋さんの、店先です。
あれー?と思って、近づいてみると…
うわー、本物のパンでした!すごい!
泥棒には、あわないんでしょうか?
焼きたてのパンを、いつも補充しているのでしょうか?
なんだか、日本だと、街ゆく若者が、いたずらしたり、ホームレスが、失敬したり…
否な事ばかり思ってしまいそう。
マドリッドでの、最大の見どころは、やはり、”プラド美術館”です。マドリッド在住の日本人ガイドさん(彼は、20数年住んでいるとか)から手渡された、「美術館ガイド」なるものを握りしめて、予約入場で、時間内に、スペイン絵画の主だったところ、エル・グレコ、ヴェラスケス、ムリリョ、ゴヤ及び、ピカソを中心に、見ていき、50点余りの作品を駆け足で、廻りました。100もの全室を見ると、大変なところ、この「美術館ガイド」は、とても役に立ちました。
ミュージアム・グッズのコーナーにも足を運び、日本語の達者なスペイン人の女の子(原宿を懐かしがっていた)のレジで、お土産も買い、出てくると、入り口には人だかりが…
何事かと思ったら、夕方、6時からは無料になるという事で、人が集まっていたのでした。私たちも、もう一度入りたかった!でも、市内の”ギフトショップ”での買い物や、夕食が待っていました。今日は、歩きの多い日で、かなり疲れたけど、楽しみも、それに見合うだけありました。
明日は、観光では、最後の日となります。アランフェスや、フラメンコも見に行きます。スペインの画家たちが一斉に夢に出てきそうです。おやすみなさい。
10月18日(快晴、本格的夏!) グラナダ→セビージャ→コルドバ
バスは、朝から快調に飛ばし、一路セビージャ(セビリア)へと・・・途中、休憩を2度ほどはさみ、3時間の長距離を内陸へとひた走ります。そうそう、昨日のフリヒリハナから、グラナダに戻るバスの中で、添乗員さんから、「これで、地中海とはサヨナラですよ。」と言われたっけ・・・。
セビージャにやっと着きました!お昼を終えて、しばらく町を歩きました。町の雰囲気は、華やかでいて、格調高いものです。そびえ立つ、大聖堂(カテドラル)、その中でも、際立つのが聖堂脇にある鐘楼(これは、元モスクのミナレットだった物が、レコンキスタでイスラム勢力が一掃されてから、キリスト教徒により鐘楼に変身させられた)。
鐘楼、名前は”ヒラルダの塔”。高さは、70M、実際に登ってみた。最初は平気と思ったが、とんでもなかった!四角く、スロープになった道(と言うのも昔、鐘楼の鐘をつく為、ロバに乗ってこのスロープを上ったらしい)を、足で歩き、34階分(もちろん普通のより低い)ようやくたどり着いた!
でも、景色を堪能する間もなく、降りて来て、大聖堂内部に、安置されたコロンブスのお墓を見た。石でできていて、四方を、当時のスペインの4人の王が担ぐという迫力あるものだった。
オペラ”カルメン”や、”セビリアの理髪師”の舞台でも知られるからか、町中には、こんな装飾品の店も…サンタ・クルス街を、散策した後は、バスで、次のコルドバへ、1時間余りの旅です。
コルドバでは、待ちに待った”メスキータ”です。ここも又、”ノーフラッシュ”の見学です。中は、かなり暗く、煙でいぶされたようなアメ色の内部、大理石と赤レンガが交互に連なって、アーチを形作ってその下の柱は、円柱となっている。その円柱も大理石のピンクがかった乳白色の隣は、黒色と、なかなか華やかだ。これが、林立(現存するのは、850本)するところから、”円柱の森”と呼ばれる。
この様に、いかにもイスラム教のモスク(2,5000人収容出来た)と、はっきり分かる部分と、次の写真の様な16世紀にキリスト教の大聖堂へと、改造され、それとの共存が、不思議な幻想を生み出している。
上の様に、16世紀の大聖堂建設で大幅に壊されたモスクを見て、当時のスペイン国王は、「あなたたちは、”どこにでもあるもの”を造る為に、”ここにしかないもの”を壊した。」と、嘆いたと言う。その通りで、言わば、負の遺産と言える”イスラム”に征服されていた事実を、スペイン人は打ち壊したかったに違いないけど、それを生かしつつ、うまく融合させた勇気に、拍手です!
メスキータを出ると、あたりは、ユダヤ人街(ご承知のように、迷路です)。歩くにつれ、細いくねった道の両脇に、きれいに花々で飾ったパティオ(中庭)を持つ、家やレストランなどがあり、”花の小道”が、左の場所。
白壁に、オレンジ色のレンガ屋根、いつまでも、この町の人たちは、”夏”を謳歌している様だ。そうそう、今日は、10月でも、35℃の町に来たのだからと、皆で、美味しいアイスを食べました。
ホテルに戻って、夕食。その後、ホテルの屋上から、ライトアップされた、メスキータの姿が、手前の、グアダルキビル川にも、ライトが反射して、美しく輝いて見えた。
明日は、いよいよ首都、マドリッド。今夜は、メスキータの夢でしょうか?おやすみなさい。
10月17日(快晴!)
グラナダ→ミハス→フリヒリハナ→グラナダ
朝、8:00から、みんな張り切っています。アルハンブラ宮殿へは、バスで15分程度。8:30からの予約入場のため、遅れては、大変!
宮殿入り口で、スペイン人の、日本語のガイドさんと待ち合わせです。入場券の半券を失くさないよう注意があり、何回か、入り口で半券のバーコードを、チェックされました。
宮殿の部屋は、全部で100ほどあり、そのうちの10余りの部屋を見る事が出来ました。上の写真のタイルの様にまさしくイスラムと思える装飾の他に、無彩色のレリーフ模様の凹凸(透かし彫りの様な)が素晴らしく、どこもかしこも、飾り立てているのです。
王宮なんだから当然と言えば、当然ですが、私たちの感覚からすると、こんな部屋では、安眠が出来ないのでは…?(失礼しました!)後で、知ったのですが、無彩色ノレリーフに感動していた私は、あれに、最初は、全部色が付いていたと聞いて、愕然としました。ちょうど、日光の東照宮ぐらいのきらびやかさだったとは・・・。
素晴らしい建物を見て、これ以上ない時に、グチを言っては、バチが当たると思いますが(ごめんなさい)、二つの残念な事があります。一つは、どの部屋にも十分なほどの職員が見張っていて、”ノーフラッシュ”と言われる事で、フラッシュなしで、あの暗さの部屋は、ほとんど、何を写したか解らない程です。
二つ目は、有名な”ライオンの中庭”が、修復中で、別室に、ライオン12体が置かれていて、あの雰囲気が味わえなかった事です。
ただし、計算になかった事も…宮殿の外には、ヘネラリフェという名前の”夏の別荘”があり、別荘中央の庭は、"アセキアの中庭"と呼ばれる。庭全体に、シエラ・ネバダ山脈の雪解け水で水路を巡らせ、噴水を配して、イスラム・スペイン様式の粋とさえも言われているが、ここを見られたのは、本当に幸せでした。
庭には、造園師が、数多くいて、花の手入れも良くされ、きっと園芸に興味のある人なら、何時間でもここで過ごしたいと思うくらいの、多種多様な植物(名前を知らない物もたくさん)を見る事が出来ました。
さて、名残惜しいアルハンブラでしたが、2時間バスに揺られて、今度は、真っ白な世界です。スペインで、最も有名な“白い村・ミハス”です。小高い丘に作られた小さな集落なので、昔は、馬やロバに頼った生活でした。今では、観光用にしか使われませんが。反対に、現代では車が狭い道に来ると、ちょっと迷惑。
ミハスに次いで、白さではミハスに引けを取らないという、バス1時間の町”フリヒリハナ”へとやって来ました。白さに慣れてしまった私は、美しさ以上に、それを保とうとする人たちの努力を今度は考えてしまいました。手入れの行き届いた白壁と、窓辺の赤い花、そして歩道にはモザイクと。
観光地としてだけでなく、別荘地としてここは、外からの人を受け入れて、なおかつ美しく保っているのには、頭が下がるばかりです。
グラナダへと、バスは戻ります。1時間余りで、楽しみの夕食です。今日は、”タパス料理”です。
タパスというのは、町中にある”タパス・バル”で、美味しいワインと、おつまみを一皿ずつ、食べられるシステムです。
でも、ツアー全員がバルに入ると収拾がつかないので、グラナダで一番の高層ビルの最上階の、回転レストランで、タパス料理してもらいました。スペイン・オムレツのトルティーヤやハモン・セラーノ(生ハム)やハモン・イベリコ(イベリコ豚のハム)やクロケッタ(コロッケ)などなど・・・もう、食べられません。
明日の予定は、セビージャですが、テレビによると、気温は、35℃だそうで、もちろんスペインの例年の10月の気温としても、異常だとの事。でも、半袖Tシャツも買い揃えて(長袖しか持って行かなかったので)準備万端!
10月16日(ちゃんと持ち直して晴れ)
バレンシア→ラ・マンチャ→グラナダ
朝、ラ・マンチャへ向けて、バスは出発します。ラ・マンチャと言えば、ドン・キホーテで有名ですが、この土地、ラ・マンチャ地方って、なんと九州の2倍もあるそうですよ。
道すがら、近づくに従って、今風な風車が、あちこちに見え始めました。そう、エコな、電力供給の為の風車です。最初は、ちょっと雰囲気壊れる!とか文句を言っていましたが、このご時世、スペインでも日本と同じです。日本よりは少ないけど、太陽光パネルが、小高い丘に並んでいたりもします。
と言ってる間に、最初の観光スポットへ、到着です。ここは、カンポ・デ・クリプターナという町で、この様に風車を抱えた町が、いくつかあるそうですが、この町が一番整備されているとの事。言い忘れましたが、この古い風車は、もちろん電気を生み出すわけではなく、粉ひきに使われたものです。今では、観光用に又、中を改造して、住んでいる人もいるとか…?
お昼は、バスで少し行ったプエルト・ラピセという町に、セルバンテス(作者)が、泊まって執筆したと言われている旅籠が、今でもレストランとして残っていて、”ドン・キホーテ・メニュー”(中世風)を頂きました。あっさりしたスープと、お肉や野菜のごった煮風の物は、結構、口に合いました。デザートも、ドン・キホーテの本に出てくる、結婚式の披露宴のメニューより、珍しい美味しいケーキでした。
突然ですが、”ザクロ”が出て来ました。そうなんです。グラナダという町の名前は、ザクロをアラブ語で言ったところから来ています。シエラ・ネバダ山脈を、横目に見ながら、3時間余りのバスツアーで、その、グラナダに到着です。
アンダルシアでも、グラナダの町は、1492年のレコンキスタ(国土回復運動)完了において、フェルナンド王とイザベル女王が、イスラム最後の砦であったアルハンブラ宮殿を、陥落させてスペインを統一し、イスラム勢力をイベリア半島から追い出したという、意味深い場所でもあるんです。
明朝のアルハンブラ宮殿の観光(予約制です)を、楽しみに、おやすみなさい。でも、ドン・キホーテとイザベル女王が、アルハンブラ宮殿で出会った夢を見そうです…
10月15日(又、晴れのち、雨) バルセロナ→バレンシア
朝、8:30 にホテルを出て、バスで一路、バレンシアへ。途中、世界遺産のタラゴナを観光。
最初の観光地、タラゴナは、地中海を臨む、ローマ時代に栄えた町で、遺跡や、円形闘技場もあり、上の写真は、遺跡から地中海を覗いたところ。このあたりから、急に小雨が…1時間ほど行くと次の観光、兼昼食の地。
2番目の観光地は、ペニスコラという名前の、日本では馴染みがないけど、ヨーロッパでは有名な避暑地なんだそうです。夏には、ドイツ、フランス、もちろんアメリカからも人々が訪れ、町全体が、避暑客を中心とした生活となっているらしい。リゾートホテルや、リゾートマンションが林立し、きっと、真夏に来ていたら、全く違った景色が見えたのでは・・・。10月の避暑地は、雨も手伝って、シーンとして寒々した町人の雰囲気。
昼食には、メインがメルルーサという魚。デザートにはメロン。でも、どう見ても、食べても、”ウリ”の仲間としか思えない果物でした。後で、何度か出てきて、姿も、全体を見た為、納得しましたが、形と大きさはまるで、ラグビーボール、色は黒に近いグリーン、果肉は、クリーム色。メロンほど、濃厚な味でなく、あっさり系。きっと、アフリカが近いので、アフリカ原産のメロンなんだわ。
食後、バスに揺られて、うつらうつらしながら、休憩をはさんで、(休憩と言うときは、もちろんトイレ休憩を意味します)あのオレンジで有名なバレンシアへ、2時間の旅。
まず、バレンシアでは、市内観光を。世界遺産のラ・ロンハ、カテドラル、中央市場など見ながら、写真の様な、陽気な酔っぱらいにポーズを取ってもらいつつ、夕食までの間、町を散策しました。
バレンシアといえば、オレンジか、”火祭り”ですが、どちらもまだシーズンではない為、人々はいたって、温厚に見えました。
ただ、夕方、「市庁舎の方へは、行かないで。」と、注意があり、何事かと思っていると、アメリカのウォール街に端を発した”デモ”が、遠くスペインの地へと広がって、首都のマドリッドはもちろんの事、ここ、バレンシアに於いても小さなデモが行われたという訳。後で、日本でも、統一行動として、”デモ”があったと聞きました。
さて、夕食は、バレンシアが発祥の地とされる、”パエリア”(パエジャと言う人もいる)。鶏肉、エビ、イカなども入っていて、インゲン豆(ちょっと、オドロキ)も入っていました。スペインのシャンペン”カバ”も飲んだ為、今夜は、グッスリ休めそう!
スペインから、帰ってきました!
今日から、私の ”旅日記” をお送りします。
10月14日 (もちろん晴れ) バルセロナ
スペイン最初の観光は、ナント!あの、”サグラダファミリア教会”です。
ずっと工事中、(なのはご承知のとおりですが)写真に収めると、クレーンなどが、どうしても写り込んでしまい、残念!
でも、この空間、普通の教会では感じられない、荘厳でありながら、軽やかな雰囲気、明るくて、まるで天使と共に、天国まで、ふわっと連れて行かれそうな、そんな内部です。
2番目は、同じくアントニ・ガウディの作品(アントニは、カタルーニャ語)で、 ”グエル公園” です。
色が、こんなにもたくさんあった事に、気付かされました。きれいでしょ?
でも、それより、ビックリしたのは、この公園を、ガウディが作るきっかけになった話でした。依頼主のグエル氏は、このバルセロナの市街地から、当時の交通手段である馬車に乗って、1時間以上もかかる、丘の上のこの地を、新興住宅地にしようと、試みましたが、失敗!
そこで、ガウディに、何か作ってみないかと、声をかけたそうです。
夢多き、ガウディはタイル工場の廃材や、又、新しいタイルを、わざと割って、公園の周辺に、ベンチを巡らせて、そこを、市民の憩いの場所にしました。長居したくなる、楽しい空間でした。
お昼は、バルセロナの、地中海沿いのレストランにて、カタルーニャ料理の、”フィデオ”(これは、ショートパスタにエビやイカやムール貝などを加えた、パエリア)・・・でも、見かけは、まるで ”五目焼きそば” ・・・これには、賛否両論様々…
3番目は、オプショナルツアーの ”奇岩モンセラット” です。バルセロナから、バスで、2時間ほどの所にあります。
ここの修道院付きの教会には、”ラ・モレネータ” と呼ばれる黒いマリア像があり、この為、カタルーニャの聖地とされています。修道院には、”エスコラニア” という、少年合唱団もあるので、宗教に熱心な家庭の親が、学校に預けているそうです。(でも、今では、頭も良くないと、この学校には、入れません!)
この奇岩を見て、ガウディが、”サグラダファミリア教会“ を構想したと言われると、”ウン、ウン”と、うなずいてしまいます!
初日から、かなりハードスケジュール!でも、ファイト!
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