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本日は、MLB 開幕2戦目
もちろん、マリナーズ 対 アスレチックス
ピッチャーは、マリナーズがバルガス
アスレチックスはコロンで始まりました。
イチロー、今日はピッチャーに抑えられて、
ヒットが出ません。
両ピッチャーの好投に阻まれて、
6回まで、0 対 0 でした。
・・・ところが、7回表
マリナーズ、スモークのホームランで、
均衡が破られました。
一塁手スモークの健闘を褒めてあげましょう。
・・・ところが、マリナーズのピッチャーが
中継ぎのケリーに代わり、
又、次はシェリル、その次はデラバー
代わるごとに、ホームランを打たれてしまいます。
7回ウラと8回ウラで、
アスレチックスは4点を入れました。
今日は、ヒットなしのイチローでしたが、
5回ウラの守備で、
カート・スズキの外野フェンス際に伸びる飛球を
ジャンピング・キャッチしました。
素晴らしい守備に拍手!
試合は、1:4の逆転で、アスレチックスが勝利しました。
今日の試合、負けたのはやはり悔しく
私なりに、少し分析をしてみました。
先発投手のバルガスの出来は、まずまずでしたが、
2番手、3番手の中継ぎ投手の起用は、
監督なりの計算があったとは言え、
タイミングを間違えた感がありました。
(ウェッジ監督、ごめんなさい!)
ここで、突然ですが
BB 日誌(3/30)
ブルーベリーの
≪サンシャイン・ブルー≫
蕾が大きくなりました。
蕾は、全体に薄紫で、先の方だけ赤みがかっています。
≪ブルー・ヘブン≫
こちらも蕾が膨らんで
少し亀裂が入った様に見えます。
おまけ・・・
花が少なく、お粗末ですが
≪ぼけ≫
ようやく蕾が赤みを帯びて来ました。
我が家の希少植物のひとつです。
最後に、マリナーズの選手、スタッフの皆さん
そして、アスレチックスの皆さん、
遠い日本にまで来て、私達を楽しませて下さって、
どうも、ありがとうございました!!!
THANK YOU SO MUCH !
2012 オープニング・シリーズ(ジャパン)
マリナーズ 対 アスレチックス
マーチング・バンド
最初は、アメリカ国歌を米軍女性が歌い、
次に出てきたのは、
日本国歌を歌う、杉 良太郎さんでした。(?)
東京ドームの中は、こんな感じ。
マリナーズのマスコットの”ムース”と
アスレチックスの方は、ゾウさん(名前は知りません)
第一打席、ウェイティング・サークルのイチロー
マリナーズ・ファンにはお馴染みの
”イチ・メーター”
この女性(お名前をど忘れしてしまいました)
全試合を観戦していて、
東京にも来ましたよ。
イチローは、開幕戦から盗塁を記録しました。
この”ムース”君、風船になっていて、
この後、なんと逆立ちも見せました!
開幕戦、イチローは5打席4安打1打点1盗塁でした。
なかなかの成績でした。
ヒーロー・インタビューは・・・
先制のホームランを打った、
ダスティン・アクリーでした。
24才なのに、このヒゲ。
マリナーズは、
開幕戦を3:1の勝利で飾りました!
大満足です。
マリナーズ対タイガース
3月25日 於東京ドーム
いよいよ、イチローが見られます。
試合前のバッティング練習
スターティング・ラインナップの呼び込み
今年は、3番 イチローです。
この有名なサムライ・フォームになると、
ドーム中のカメラのフラッシュがたかれます。
今年は、一本足ではありません。
結果は、もうご存じの事と思いますので、省略しますが、
イチローは4打席1安打
それは、得点にはつながりませんでした。
9回表、ウェルズのホームランの
1点に留まりました。
1:5
タイガースの勝利でした。
イチロー・ジャージ
マリナーズ・キャップ
マリナーズ・ストラップ
MLB 開幕戦(マリナーズ 対 アスレチックス)
公式プログラム
(3/28,29 ここで、行われる。私も又、見に来ます。)
負けて悔しいけど、
一つには、例のタイガースならではの
あの応援合戦!
あの騒音に慣れないマリナーズのピッチャーたちが
虚を衝かれた感じでした。
お土産をたくさん買って、
ちょっと憂さはらし・・・
後、川崎選手も途中出場で、2塁打を打ちました。
彼の頑張っている様子が、頼もしかったです。
野球が嫌いな方には、面白くない話で、
失礼しました。
又、3/28をお楽しみに。
今回は、層雲の第二回目です。
いつもの様に、『「雲」の楽しみ方』
(ギャヴィン・プレイター=ピニー著)
からの抜粋で、ご紹介させて頂きます。
層雲
(つづき 01)
季節性感情障害とは、
アメリカのメリーランド州ノースベセスダで活動する
臨床精神科医のノーマン・E・ローゼンタール
によって明らかにされた症候群だ。
ローゼンタール医師によれば、
気分の落ち込みと特有の肉体的症状が現われる病で、
季節がめぐってくるたびに発症する。
冬に症状の出る冬季性うつ病の患者は、
陰鬱な季節になると気がふさぐほか、
いつもより活力がない、何をするのも億劫、
睡眠が長くなる、無性に何か食べたくなるといった
自覚症状がある。
確かに季節性だと言う人には、
緯度の高い地方に住む人が多い。
赤道から遠く離れるほど、
冬季性うつ病を訴える人が増えるのだ。
ローゼンタール医師は、対人口比で見た場合に、
アメリカの患者数がフロリダ州の1.4%から
高緯度のニューハンプシャー州の9.7%と、
地域によって大きく開きがある事に気付いた。
冬季性うつ病の原因が目にする光の量にあると考えた
ローゼンタール医師は、光療法を考案した。
1万ルクスの光の前に毎朝30分間座るよう
患者に指示したところ、
気力と活力が大幅に改善される事が分かったのだ。
しかし、せっかくだが、私(ギャヴィン氏)はたかが
不透明な霧状層雲の為に、
電球を入れた箱の前に毎朝座る気はない。
問題は光が足りない事よりも、
一日中見上げる物がない事なのだ。
これでもかと晴れ渡ったピーカンの青空にも、
同じ事が言えないだろうか。
ローゼンタール医師は、季節性感情障害に
「夏季性うつ病」という
もう一つの型がある事も見出している。
患者は夏の間、気分がすぐれない。
面白い事にアメリカとヨーロッパでは、
冬季性が圧倒的に多いが、
日本と中国では夏季性も欧米よりは多いのだ。
イギリスでは、不運な人を「雲が垂れこめている」、
陽気で楽天的な人を「日当たりがいい」と表現する。
企業の会議でするブレインストーミングは、
実現性の薄い常識破りのアイデアであっても
自由に意見を出してもらうのが目的だが、
これを「ブルースカイ発想法」という。
イランでは逆だ。
幸運な人は「あなたの空はいつも雲でいっぱい」
と言われる。
青空がずっと続くような国では、
日当たりがいい事は珍しくもなんともない。
「ブルースカイ」に特別なメリットはないのだ。
その点、雲は貴重な雨を約束し、
焼けつく暑さを一休みさせてくれる。
温帯地域ではそこまで干上がってしまう事はないから、
雲に対する感情はもっと複雑なようだ。
雲は生命を育む日光を弱らせるが、
限りない美しさをも見せてくれる。
だってそうではないか。
雲のない日没にどれだけの値打ちがあるだろう?
線の下に消えていくまぶしい玉、
それだけの事ではないか。
それでも不透明な霧状の層雲が空を覆い続けていたら、
夕日など存在しないに等しいだろう。
押しかけて来るだけでなく、
いつまでも長居する迷惑な友人だ。
いや、ちょっと待てよ・・・いい事を思い出した。
嬉しい事に、層雲にもその鬱陶しい態度を
許せるほどのメリットがある。
そうだ、層雲があればこそ雲の中を歩くという
とっておきの楽しみを味わえる。
雲底が上空500mあたりの層雲は
10種雲形の中で最も低く、
地上に降りてきて楽しげに私達人間と交わる
唯一の雲だ。
大地につなぎとめられて名前を変え、
霧又は、霞と呼ばれる。
子供の頃の私(ギャヴィン氏)は、朝起きて窓の外が
神秘的なベールで覆われているとうっとりした。
嵐も突風もこの変身を告げに来ない。
アメリカの詩人カール・サンドバーグがうたったように、
霧は前触れもなく「小さな猫の足つきで」そっと訪れる。
霧はしずかに腰をおろして
港と町を見わたすと
おもむろに動きだす
霧がすべてをやさしく包み、
景色を一変させるのが私(ギャヴィン氏)は好きだった。
我が(ギャヴィン氏の)家の猫のペプシが、
ぼんやり霞んだ庭の向こうから
ゆっくりと近づいてくる。
ペプシが小路を歩いて来た気配がするなと思っていると、
いきなり姿が現われる。
霧の中では音が変わるのも好きだった。
どこからともなく聞こえてくる声は、
遠くから届くようであり、
すぐ近くで囁いているようでもある。
層雲がなかったら、
朝霧のベールの魔法を知る事もなかったろう。
ヴィクトル・ユーゴーはこう書いている。
「何もまとっていない女は青い空だ。
雲と衣は見つめる目の邪魔をする。
美と無限は見つめられて、姿を現わす。」
雲と衣は魅惑の道具だという見方に
私(ギャヴィン氏)は胸を打たれる。
どちらも「見つめる目の邪魔」をする事で
美を堪能させてくれるのだ。
一方は人間の肉体の美を、
いま一方は空の美を。
霧の中を歩くのは、雲の魅惑のベールを
肌で体験する事だ。
美はその頭を雲の中に隠して描かれるのがいい。
16世紀に絵画と彫刻の図像学を開設した
『イコノロギア』で、
チェーザレ・リーパはそう書いた。
美を人間の言葉で表現し、
人間の知性で理解するほど難しい事はないからである。
(雲のパビリオン)
霧の中を歩く感覚は、
スイスで開催された全国博覧会
(スイス・エキスポ2002)
の呼び物となった建築物の設計上のヒントになった。
イヴェルドンに近いヌシャテル湖に架けられた
120mの橋を渡ってその建物に近付いていくと、
目に入るのはただ湖面に漂う大きな霧だけだ。
「雲のパビリオン(ブラー・ビルディング)」は
ニューヨークの建築家エリザベス・ディラーと
リカルド・スコフィディオの設計によるもので、
形もなければ面も奥行きもない。
壁とか屋根と言える物がないのだ。
雲の建物である。
雲ウォッチャーとしては当然だが、
もっと専門的に言っておくと、
層雲で外郭を形作ったパビリオンなのだ。
(雲のパビリオン)
ディラーとスコフィディオは、
1999年にこのパビリオンの設計コンペで優勝した。
2人の建築案は、
ヌシャテル湖の湖面に金属製の骨組みを吊って
そこに細いノズルを隠すというものだ。
湖の水をポンプで汲み上げて濾過し、
それを噴射したしぶきで建物を形作る。
「雲のパビリオン」は建築物の概念への挑戦
というべきものだったが、
人工霧を利用した建物はこれが最初ではない。
1970年の大阪万博(エキスポ70)で、
日本の彫刻家の中谷芙二子が
「ペプシ館」を人工霧で覆った。
ただし、中谷の建築物には建材の外壁があった。
(ペプシ館)
ディラーとスコフィディオのアイデアは、
それを更に一歩進めたものだ。
雲のパビリオンには外壁がなく、人工の霧は6ヶ月近くに渡って
卓越風(※地域風の様なもの)及び湿気と手を結び、
空から降りて来る本物の雲の様に湖上に広がった。
その建設には恐るべき努力を要しもした。
それでも、2002年5月にスイッチが入れられると、
雲は形を現わし、
雲のパビリオンが公開された。
金属の骨組みには31,400個もの高圧噴射ノズルが
びっしりと並び、そこから噴き出された水は
直径わずか0.1~0.25ミクロンの霧状の水滴になった。
本物の霧粒とほぼ同じ大きさだ。
水圧は、周囲の気温と湿度と卓越風を基に、
コンピューターで制御された。
風の強い日に鉄骨が剥き出しにならない様、
風上のノズルは風下のノズルよりも水を多く噴射する。
霧━というべきか建物というべきか━は、
強い風で湖上に美しく広がった。
システムは、絶え間なく変化する空気の状態に
柔軟に対応し、
構造物を包むだけの充分な霧を発生させながら、
風下が水浸しにならない程度に抑えた。
(雲のパビリオン)
来館者は地に足の着いている安心感を背後の岸に残して、
湖の橋を歩いていく。
橋の向こうは深いしぶきの煙の中に消えている。
ぼんやりと形のない物に足を踏み入れるのは、
まごつくような、それでいてスリリングな体験だ。
ディラーとスコフィディオは、
建築家らしくこのプロジェクトについて論理的に説明した。
「ブラー・ビルディングの『ブラー』とは、
あいまいにする事、ぼかす事、覆い隠す事、
曇らせる事、おぼろげにする事です。
高解像度/高精細度が氾濫あふれるする
現代の文化の中でそういう事をするのは失敗に等しい・・・。
視界がぼんやりと雲っていると、次々と連想が膨らみます。
私(ギャヴィン氏)はロンドンに出没した
切り裂きジャックとか、
霧の中に潜んでいる殺し屋などが思い浮かびますよ。
霧に包まれた物は恐怖を掻き立てるのです。」
ディラーが言おうとしたのは、
霧の中を歩くのは刺激的だと言う事だ。
(雲のパビリオン)
建設中はトラブルが続出した。
霧を発生させて制御するのが技術的に
難しかったのもさることながら、
建設半ばで予算が大幅に削減されもした。
プロジェクトは何度も頓挫しそうになった。
世界中から集まった報道陣の前で行われたテストが
準備不足のせいで失敗したのも、困難に輪をかけた。
「世にも高価な人工雲は大失敗。
1000万ドルが水煙になった!」
とスイスの大衆新聞『ブリック』は書き立てた。
だが、曲折の末にオープンした雲のパビリオンは大歓迎され、
報道機関も批判した事をすっかり忘れたようだった。
『ゾンターク・ツァイトゥング』紙はこう書いた。
「なんともぶっ飛んだ新発想!
目的を持たない事のこの痛快さ!・・・
国中が雲に魔法をかけられた。」
今日は、ここまで。
「雲のパビリオン」の話は聞いた事もなかったので、
大変新鮮でした。
しかし、その前に大阪万博の中に
同じようなコンセプトの建築物があったとは・・・
それも日本人の女性彫刻家の作品だったのは、
とても嬉しい驚きでした。
こんなに山が見えるほど、
我が市は田舎だった、といまさらながらに驚きました!
ビルの屋上から、
ずーっと、パノラマで見えたのは初めてです。
いつもは、ここに富士山が見えるはずですが、
この日(3/13)は、その前の秩父連峰やら、
丹沢の峰々がその全貌を見せて、
私を驚かせてくれました。
我が家の”猫の額ガーデン”には、
いつもの椿に加えて、
水仙とクロッカスも花開きました。
(どちらも、ちょっとピントが甘いのは、
カメラに原因があるようです)
我が市では(小金井市と言いますが)
上のポスターにある様に、4月6〜8日
『桜まつり』が、行われる予定です。
例年より、やはり少し遅れての
桜の開花予定ですが、
きっとにぎわう事でしょう。
私は、この時期ちょうど旅行に出かけてしまいますので、
桜情報は、その後でお知らせできると思います。
今回の 雲は、層雲です。
いつも通りに、ギャヴィン・プレイター=ピニー氏の
『「雲」の楽しみ方』から、抜粋でお送りします。
層雲
(低く垂れこめた幽玄の世界「霧雲」)
層雲は空一面にぼうっと広がる灰色の雲で、
どこと言って特徴がない。
カリフラワーの様に盛り上がってさんさんと
日光を浴びている雲と、
こうまで違う雲があるものだろうか。
まるで物悲しく空を覆うくすんだベールだ。
お祭り騒ぎの好きな気まぐれな対流雲と比べると、
層雲はネクラで退屈なやつだ。
含んだ湿気をほとんど吐き出そうとせず、
せいぜい小雨か小雪をぱらつかせるくらい。
のろのろとやって来て、
来たら来たでうんざりするほど長っちりだ。
自由奔放にふるまうきままさなど、
これっぽっちもありはしない。
雲を愛でる会の創設者である以上、
私(ギャヴィン氏)はどの雲形にも偏りなく
愛情を感じると思いたい。
思いたいけれども、
底冷えのする2月のロンドンの朝に層雲が
空を覆っているのを見ると、
そんな気持ちもいっぺんに萎えてしまう。
雲は空の広さや高さを感じさせてくれる。
一点の雲もない青空にはその喜びがない。
雲ウォッチャーは様々な形に重なったり広がったりする
空を見上げ、大空の素晴らしさをしみじみ思う。
ところがこの層雲は、
見ているだけで息苦しくなる。
せっかく戸外の空の下にいるのに、
これではたまったものではない。
層雲はプライベートな領域にずかずか入り込んでくる
無神経な知人の様だ。
それでいて太陽の居場所を教えてくれようともしない。
私(ギャヴィン氏)は今、灰色のロンドン市街を
オフィスに向かっているが、
朝だと言うのに見上げた空は午後の空と少しも変わらない。
これは層雲の変種の一つで、
太陽をすっかり覆い隠してしまう「不透明雲」のせいだ。
これが「半透明雲」だったら、
せめてぼんやりとでも、太陽のいる場所がわかるのに。
不透明と呼ばれる他にも、
この層雲は種でいえば「霧状雲」だ。
色の濃淡も明暗もなく、
雲底のこぶもなければ特徴的な形も見せず、
ただただ単調な灰色のコンクリートが
見渡す限り空に広がっている。
しかも低い空の雲だから、はるか上空にある訳でもない。
私(ギャヴィン氏)はどんよりと重ったるい
空の下を歩いている。
気分がぱっとしないのも無理はない。
しかし、さしもの愛好家も、
今はほんの一瞬でもいいから、明るく輝く太陽の
顔を拝みたい。
不透明な霧状層雲の天井の下では、
神は光熱費節約の為に、太陽を蛍光灯一本に
取り替えてしまったのではないかと、勘繰りたくもなるのだ。
雲ウォッチャーは、のっぺりした特徴のない霧状雲が
層雲のたった二つの種の内の一つである事を知っておこう。
もう一つは断片雲といい、低い層雲がちぎれた
ぼろぼろの切れっぱしの様な雲だ。
長い時間垂れこめる霧状雲と違って、
断片雲には輪郭と形があり、それが絶えず変化する。
積乱雲の下の飽和した大気中に出来る
副変種のちぎれ雲と本質的には同じだ。
雲は種に分類出来る他、特徴を備えた「変種」がたくさんある。
層雲には、太陽又は月の位置がわかるか、
わからないかの違いで、
不透明雲と半透明雲があるが、
それに加えて「波状雲」という第三の変種がある。
風に吹かれて表面が波立った様に見える雲だ。
層雲は対流雲(積雲と積乱雲)と成り立ちが全く異なる。
空気が冷えて含まれている水蒸気が水滴になった時に
生まれるのは、どの雲も同じだが、
層雲の場合はサーマルで上昇する空気の塊よりも
もっと広い範囲の空気が冷える。
どの様にしてそうなるのだろう?
一つには、空気の層が全体に上昇するからだ。
それが起こるのは、
空気が流れて少し温度の低い空気に
接触した時である。
温度の低い空気は密度が高くて重いので
地表近くに留まり、
暖かい空気はその上にふわりと昇っていく。
上昇して気圧が下がるに連れて温度が下がり、
このプロセスがゆっくりと起こると、
冷えた空気がのっぺりした雲を作って
空一面を覆うのだ。
対流雲が乱気流から生まれるのに対して、
層雲は比較的安定した大気と結び付いている。
層雲は小雨や小雪を降らせる事はあっても、
本降りにはならない。
いっそ本格的に降ってくれた方がまだましというものだ。
ザーザー降りの時には暖炉に火をおこし、
ほうら、家の中はこんなにぬくぬくと気持ちがいい、
という気分にもなれる。
ところが、それは不透明な霧状層雲の流儀ではない。
層雲が雨を激しく降らせている様に見える時は、
その上に雨雲を隠している。
層雲は特徴がないのが特徴だ。
目立たないという点で、他のどんな雲より目立っている。
私(ギャヴィン氏)が雲を好きなのは、
大空に様々な表情を与えてくれるからだ。
来る日も来る日も青一色の空を見せられたら、
人生は退屈だろう。
(キーツ)
晴れた空に浮かぶ気まぐれな積雲も、
荒れ狂うすさまじい積乱雲も、
発達と崩壊を繰り返す変化に富んだダンスを見せてくれる。
「雲は激しいロマンスの雄大な象徴」
だと詩人のキーツは言う。
雲は目に見えるように示された自然の詩なのである。
それに引き換え、不透明な霧状層雲はどこまでも無粋だ。
私(ギャヴィン氏)は車の行き交う道路にひっくり返り、
そんな雲を見上げた事がある。
17歳だった。
舗装道路に転がった私(ギャヴィン氏)の足は、
信じ難い角度に捻じ曲がり、
私(ギャヴィン氏)は空を見上げながら、
救急車が来るのを待っていた。
頭上では厚い層雲が空一杯を覆っていた。
低く垂れこめた灰色の陰鬱な雲が・・・。
それから間もなくして、友人のお父さんで
ジャーナリストのネヴィル・ホジキンソンからいい事を聞いた。
ホジキンソンは現パキスタン領のハイデラバードで
1937年に設立されたNGOのブラーマ・クマリスで
ラージャ・ヨーガを習っているのだが、
ヨーガ行者にとって雲は精神修養の道で
迷った時を表すのだと言う。
雲はヨーガ行者の気を散らす物を象徴しているのだ。
気を散らす物が何なのかは聞かなかったが、
ブラーマ・クマリスのヨーガ行者がニンニクも避ける
完全な菜食主義者で、
厳しい禁欲生活を実践している事を考えると、
思い浮かぶ物はわずかしかない。
いずれにしても、迷いは時として深く長く続き、
ヨーガ行者は精神探求の道を完全に見失ってしまう。
彼らはそれを「マヤの嵐」と呼ぶ。
この様な時、ヨーガ行者は雲の上には
いつも太陽が輝いている事を思い起こすと言う。
それで思い出したのは、子供の頃飛行機に乗っていて
ハッとひらめいた事だ。
空の上のパイロットにとっては、
一日の例外もなく毎日が晴れている。
のみならず、オフィスにいる時は絶えず
変化する美しい雲の風景を眺められるのだ。
私達はどうだろう?
地上での仕事に縛られ、
年がら年中気を散らしている私達は?
わびしい灰色の2月の朝には、
澄み切った太陽の光を恋しがらずに
いられない時もある。
今回も、写真はYahoo!検索で層雲とキーツを調べました。
今回のところで分かった事は、
雲がないと私達は退屈だし、かといって、
一日中、一か月中雲で太陽が遮られてしまったら、
気分も落ち込んでしまう。
でも、そんな時は雲の上には、必ず、
太陽があるんだと思えば、大丈夫。
まだ、層雲は続きますが、気分を取り直して
次回をお楽しみに。
最後になりましたが、今日楽しいブログを見ました。
ここで、皆さんにご紹介させて頂きます。
『カンコの日記』です。
LINKSに載せましたので、
甘い物好きの方は、是非、チェックしてみて下さいね。
梅の最新情報です!
これは、梅林の全体像です。
空は青空、梅見には絶好の天気ですが、
昨日までの寒さで、『満開』とまでは言えない・・・
八重冬至
(メジロが梅の花蜜を吸っていました)
八重野梅
曙
(薄いピンクが可愛い)
長寿
鴛鴦
(一重のすっきりした紅梅)
水心鏡
月影
(蕾は枝と共に緑色)
芳流閣
月の桂
(これも月影と同じ様に緑がかった白梅)
紅千鳥
(濃い紅梅)
古城の春
武蔵野
(八重の紅梅)
品字梅に似ている梅
(満開を少し過ぎたよう)
梅情報 後記
久々に、朝から良い天気で、梅の様子も気になって、
いつもの公園の梅林へ出かけてみました。
全体には、まだ大声で「満開!」と言えるほどではなく、
ぽつりぽつりと7~8分咲きの樹が見えました。
バード・ウォッチャーの私としては、
『梅にウグイス』ではなく、『梅にメジロ』が見られて
嬉しい限りでした。
反省点と言えば、
私のデジカメは、接写が苦手なんです。
今回の撮影で、よくわかりました。
これからの課題としましょう。
春の雲には相応しくないのですが、
乱層雲の3回目です。
ギャヴィン・プレイター=ピニー氏の
『「雲」の楽しみ方』よりの抜粋です。
乱層雲
(つづき 02)
子供に雨粒の絵を描かせると、
きまって涙の形に描く。
思うに、大人にそう教えられたのだろう。
クリスマスツリーの枝を下向きに描くのも、
やはり大人に教えられたからに違いない。
本物のクリスマスツリーの枝は上を向いているし、
落ちて来る雨粒は涙の形をしていない。
小さい雲粒はほぼ完全な球形だが、
成長して落下し始めると
空気抵抗で押しつぶされ、まん丸ではなくなる。
もちろん涙形でもない。
直径2ミリ以上になった雨粒は、
ハンバーガーの上半分みたいな形をしているのだ。
雲から小さいハンバーガ^ーが落ちて来る絵を
子供に描けと言うのは
ちょっと無理な話かもしれない。
雨粒を涙形に描く習慣は、
私達大人が教えたに決まっている。
何故なら、私達はその形の水滴を
見慣れているからだ。
例えば、風呂の蛇口。
蛇口の縁にしがみついている滴を見詰めていると、
ようやく滴り落ちた水滴は
誰が見ても涙の形だ。
水滴は次第に重くなって縦に伸びつつ
表面張力で蛇口にくっついていようとするが、
ついに耐えきれずに下のバスタブに落ちていく。
(キーツ)
愛する人の睫毛からこぼれ落ちる涙も、
そういう形をしている。
きっと私達は、雨というと悲しみを連想して
雨粒を涙形に描くのだろう。
この連想は、イギリス・ロマン派の詩人の十八番だ。
ジョン・キーツは、いささか陰鬱な詩、
「憂鬱のオード」でそれを描いている。
(キーツ)
・・・雲が涙を流して
しおれた花に生気を与え、
緑の丘を四月のとばりで覆うように
憂鬱の発作が不意に天から降りてきて
あなたの悲しみを朝のバラで満たす。
(シェリー)
一年後にキーツの夭折を悼んで、
「アドネイス」を書いたパーシー・ビッシュ・シェリーも、
同じ事をした。
亡き友への追悼の哀歌には、
笑いもたくさん盛り込まれている。
シェリーは、キーツの想像した「使者」も
彼と共に死んだと考えた。
死の床で、キーツを慕っている使者の一人は
キーツの頬に涙を見る。
彼がまだ死んではいないと思った彼女は、叫ぶ。
「眠れる花の露のごとく、
詩想から流れ出た涙がこぼれている」
しかし、残念ながら・・・
使者はそれが自身の涙とは知らず、
さめざめと雨をこぼす雲のごとく、
跡形なく消えていく。
降水と言うと雨か雪か雹だと思っている
雲ウォッチャーは、考えを改めた方がいい。
降水には多くの種類があって、
この三つはほんの一部に過ぎないのだ。
さあここで、雲から落ちて来る物をすっかり挙げてみよう。
雲の種類、雲の中の気温、雲の下の気温
によって、降水は色々な形をとる。
液体降水
雨 通常、水滴が0.5ミリ以上。
着氷性の雨 過冷却状態の雨粒(0℃以下)。
地面や電線などに触れると着氷する低温の雨。
霧雨 雨滴の直径が0.5ミリ未満の非常に細かい雨。
細雨、こぬか雨とも。
着氷性の霧雨 過冷却状態の霧雨(0℃以下)。
着氷性の雨よりも雨滴が小さい。
物に接触すると、着氷して「霧氷」となり、
家屋や飛行機に甚大な被害をもたらす。
固体降水
雪 雲から降ってくる氷の結晶。
雪の結晶の初期段階(直径0.2ミリ以下)を氷晶、
雪の結晶が数個から数百個くっつきあった物を
雪片と言う(マイナス5℃以上)。
結晶の形、大きさ、氷量は温度と状態によって変わる。
霧雪 非常に小さい不透明な氷の結晶で
(直径1ミリ未満)、地面に当たってもはねない。
霧氷の雪版。
雪あられ 白く不透明な氷の結晶で、
直径1〜5ミリの円錐形又は球形。
もろく砕けやすいので、固い地面に落ちると
跳ね返って割れる事がある。
霧雪などの氷の結晶が雲粒に衝突して出来るもので、
外側が固い氷の粒。
雹 直径5〜50ミリの透明又は不透明な
非常に硬い氷の粒
(アメリカで最大の記録は直径178ミリ)。
積乱雲や雄大積雲の氷晶層で出来、嵐の時に
見られる事が多い。
氷あられ 半透明の氷粒で、普通直径5ミリ未満。
固く、地面に落ちると音を立ててはねる。
凍雨 透明な氷粒で、直径5ミリ未満。固く、
地面に当たると音がする。
氷あられよりも長く降り続く。
ダイヤモンドダスト(細氷) 非常に小さい
氷の結晶
(普通直径0.1ミリほど)が霧の様に空中に浮かんでいる物。
よく晴れて風がほとんどない寒い日に出来るので、
極地でよく観察される。降水の内、雲から
落ちるのではない物の一つ。
日光が当ってきらきらと美しく輝くところから、
この名が付いた。
雲ウォッチャーは、何もわかっちゃいない人たちの
言いがかりから、ふわふわで気ままな友を
守ってやらなくてはいけない事がままある。
彼らは「雨雲なんてうんざり。
なんであんな物が好きになれるんだ?」
と、なじるだけではおさまらず、雨雲のせいで
(a) 昨日のテニスの試合が延期になった
(b) 結婚式が台無しになった
(c) バングラディシュは大洪水に見舞われた・・・
云々かんぬんと恨み言を言うだろう。
晴れやかな気持ちに水をかけられても、
更にはそれが雨のせいでも、
雲が海水から塩分を取り除いてくれなければ、
飲み水がない事は、指摘しておいて無駄ではない。
4世紀の聖バシレイオスの言葉に、次の様なものがある。
多くの人が頭に降りかかる雨を呪う。
飢餓を追い払う豊穣をもたらす事も知らずに。
言い換えれば、アメリカの作家ジョン・アップダイクが
述べた通り、「雨は恵み、雨は血に降りて来る天、
雨がなければ生命はない」のだ。
雲と雨は、地上を生き物の棲める場所にしてくれる。
しかし、気付かれにくいかもしれないが、
雲と雨にはもう一つの重要な働きがある。
汚染された大気を浄化してくれるのである。
(アップダイク)
凝結核と凍結核は水滴につかまって雲粒に閉じ込められ、
雨や雪になって地表に戻される。
わずか25ミリの降水量で、大気中に浮遊する粒子の約99%と、
二酸化硫黄(亜硫酸ガス)などの可溶性気体のほぼすべてが、
雲の下の大気から取り除かれる。
降水雲は核になる物質を水滴と氷晶で、
包み込んで運び、地上に返すのだ。
この作用がなければ、大気はひどく汚れてかすみ、
温帯地域では間違いなく悲惨な事になる。
雨に文句を付ける人は、木を見て森を見ていないのだ。
雨の後の澄んだ新鮮な空気の様に、
生き返った様なすがすがしい気分にさせてくれる物は
ざらにない。
雲ウォッチャーなら知っている通り、
太陽の輝きがあれほど甘美なのは、
雨の涙を落としている雲の隙間から
顔をのぞかせるからなのだ。
ハンバーガー形の雨は、
悲しみの雨ではなく歓喜の雨なのではないだろうか。
今回の写真および、イラストはすべて
Yahoo!検索 雨、雪、雹、ダイヤモンドダスト、
キーツ、シェリー、アップダイクで調べた物を使用しました。
今回で、乱層雲の話は終わり、次は層雲の予定です。
ここで、皆さんにご紹介したいブログがあります。
LINKS に載せました”すみれ日記”です。
すみれさんの写真やデジブックが見られます。
どうぞ、よろしくお願いします。
ずいぶん遅れてしまいましたが、
2012年のカレンダーが出来ました!
昨年暮れに原稿は出来上がっていたのですが・・・
パソコン教室で”年賀状”と共に、
毎年、楽しみにしているのが、
この”カレンダー”なのです。
もうお雛まつりも終わった今なので、
恥ずかしい限りですが、
我が家のプリンターが壊れたのと、
先日の手術もあって、
ようやく、落ち着いて
2012年のカレンダーをプリントアウトして出来上がりました。
テーマは昨年のスペイン旅行としました。
その中でも比較的、個人を特定しない写真だけを選んだ為、
ここには、1月、7月、8月と11月のみです。
ところが、今年に入って又私の母の病気が高じてしまい、
4月にも、同じ旅行代理店の企画した
「北スペイン・バスクとポルトガル」という旅行に
参加する事になりました。
昨年、行かなかった北スペイン及び、ポルトガルの
旅行である事もさることながら、
今回の旅行には、
母のお気に入りの添乗員の方が同行して下さる事になり、
それも楽しみの一つです。
この添乗員の事は、4月の旅行の後の
ブログで沢山お話し出来るものと思います。
今回は、旅行に行く事が先に決まっていて、
目の手術が後で決まった為、
行けるかどうかが、分かりませんでした。
しかし、今のところ眼科の先生からは、
「何もない限り、旅行もO.Kです。」と言われています。
但し、直前にもう一度、外来で、
診察を受ける必要がありますが・・・
まだ、前回の旅行の総括も済んでいないのに、
続けて旅行に行くなんて贅沢、とお思いでしょうが、
・・・お許しください。
今日は、雛まつり!
3月は、このテンプレートで行こうと思います。
では、 乱層雲の2回目をお送りします。
通常通り、ギャヴィン・プレイター=ピニー氏の著書
『「雲」の楽しみ方』からの抜粋です。
乱層雲
(つづき 1)
雨、雪、雹を降らせる雲と、
降らせない雲があるのは何故だろうか。
天気雲の積雲も水滴で出来ているのは同じなのに、
何故積雲は雨がなくて、
乱層雲は雨を降らせるのだろう?
この違いは、ひとえに雲粒の大きさのなせる技だ。
水滴と氷晶はみな重力のせいで落ちていくが、
粒が小さいほど落下速度が遅い。
地面付近にまで垂れこめる層雲(霧や靄)を除けば、
雲はすべて空気の上昇によって発生する。
上昇してくる空気に逆らえるほど雲粒が大きくなったら、
あとは地面に向かって落ちるしかない。
雨のない天気雲の積雲は、水滴が非常に小さい。
直径0.005ミリ以下。
この大きさだと、落下速度は下から吹き上げて来る
サーマルの勢いの比ではない。
吹けば飛ぶような微小な水滴にとって、
空気は小石を落とした蜂蜜のごとく濃密だ。
蜂蜜のビンに落とした小石が、
水に落とした時よりもゆっくりと沈んでいくのは言うまでもない。
では、ビンに蜂蜜を注ぎ入れている時に
小石を落としたらどうなるだろう?
小石の大きさがそれ相当、
ビンに蜂蜜が満たされている速度もそれ相当ならば、
小石は一定の所に留まって動かない。
水滴や氷晶が重力に逆らって見えるのもそういう事なのだ。
さて、雲粒が落ちてこないのはそういう訳だが、
では雲粒が大きくなって落ちて来るのはどうしてだろう?
それに、「何故(フランキー・ライモンが歌った通り)」
雨は下から降らないのだろう?
いい質問だ。
1950年代の人気歌手フランキー・ライモンと
ティーネイジャーズのヒット曲『恋はくせもの』は、
トップ・テン入りしたお陰で、
ライモンはわずか13歳にしてスターにのし上がった。
イギリスでも1956年の夏に
ナンバーワン・ヒットを記録し、
ライモンは初めて100万枚を売った黒人歌手になった。
若いスターのつねとして、ライモンも曲折した人生を送った。
思うに、たくさんの疑問で彼の胸がいっぱいだった事と
無関係ではないだろう。
誰も答えられそうにない疑問ばかりなのだ。
「何故鳥はあんなに楽しそうに歌うのだろう?」
「何故恋人たちは夜明けを
待ちわびるのだろう?」
「何故愚か者は恋に落ちるのだろう?」
「何故雨は下から降らないのだろう?」・・・
20歳になる頃には、ライモンは救い難い麻薬中毒の
泥沼にすっかりはまってしまい、
その後、歌手フランキー・ライモンは26歳で死んだ。
もしも誰かが悩める若者のそばについていて、
雨が上から降る訳をじっくり教えてあげてさえいたら。
もしも私(これは、ギャヴィン氏の事)がタイミングよく
ライモンと出会っていたら、
彼の運命は変わっていただろうに。
そうすれば、雨や雪は雲の水滴が成長し、
小さい積雲に見られる直径0.005ミリの粒よりも
ずっと大きくなると落ちて来るのだと教えただろう。
雲粒はそれよりもはるかに大きくなる。
大きくなればなるほど地面に落ちやすくなる。
この時の大きさは様々で、
「スコッチミスト」と呼ばれる非常に細かい霧は
直径数百分の一ミリ、
霧雨は0.2~0.5ミリ、雨粒は0.5ミリ以上になる。
雨粒の大きさの平均は1~5ミリで、
8ミリに近づくと空気抵抗で変形して小さい粒に砕ける。
雲の微小水滴がどうやって
成長して落ちて来るかを知らなくてはならない。
雲粒が雨になる二通りのプロセスを
両方とも説明する必要がある。
雲を構成する水の粒と氷の粒に、
それぞれどんな事が起こるかだ。
まず水滴の方から説明するが、
その為に真珠と貝の話を聞かせよう。
ヒンドゥー教では、真珠は朝露が海に落ちた物とされ、
満月の夜に出来た真珠が極上の物だと信じられている。
古代ギリシャには全く違った言い伝えがあり、
真珠は雷が海に落ちた時に出来ると言われていた。
またローマ人にとっては、真珠は人魚の涙だった。
今日の説明はつまらない。
真珠は貝の中に紛れ込んだ異物から出来ると言うのだ。
貝類には殻の内側を保護する物質を分泌する腺があり、
この物質が真珠層の材料になる。
異物が貝の中に入ると、
真珠液がそれを包み込むようにして層を作る。
これが真珠になるには一年ほどかかる。
この頃になると、貝はなんだか窮屈になって、
ありがたくない宝物を深い海の中に吐き出すのだ。
空中でも、水蒸気が凝結して雲粒になるには、
貝に入った異物に相当する物が要る。
自由に飛び回っている水分子は何かきっかけがないと
結合して水滴にならない。
水分子が包み込む核が必要なのだ。
大気中には、その役目を果たす「異物の粒子」が
たくさん漂っている。
これを気象学では「雲凝結核」とか、単に「凝結核」と呼ぶ。
普通は直径0.001ミリ以下で、色々な物がある。
例えば海の上では、波のしぶきが乾いて出来た
塩の粒子がその働きをする。
陸地にはもっとたくさんの物があり、
土や鉱物や乾燥した植物などが凝結核になる。
火山や山火事の煤煙もそうだし、
人間が住んでいる地域なら煙や硫酸塩など、
無数の物質がその作用をする。
凝結核は、雲が雨を降らせる
第一のプロセスに欠かせない物だ。
このプロセスは水滴だけで出来ている
雲(暖かくて水滴が凍らない)の場合で、
その雨を「暖かい雨」と言う。
凝結核になる物の中でも、
水蒸気の分子の引きつけやすさは様々で、
とりわけ水分子をくっつけやすい物がある。
塩の分子は特に水分子をよく吸収する。
だから、凝結核として優れた働きをする。
火が燃えた時に生じる粒子も、なかなかの物だ。
山火事の上空に厚い雲が現われる事があるのは、
一つにはその為である。
雲が出来始めると、効率的な核から出来た水滴は
他よりも急速に発達する。
どんどん大きくなり、落下し始めるのもそれだけ早い。
成長した水滴は小さい水滴と衝突すると、
それらを吸収し、更に大きくなる。
この過程を「併合」と言う。
雲は発生後15分から30分ほどすると、
大きくなった水滴を雨として降らせる。
しかし、雨粒の出来方として
これが最も一般的なのではない。
少なくとも中緯度地域ではそうだ。
氷晶の話をまだしていない。
地上に降る雨は、固体として
その生涯をスタートする事の方が多いのだ。
氷晶は雲の下の暖かい空気を通過する時に
溶けて雨粒になる。
氷晶から雨になる第二のプロセスを
「冷たい雨」と言うが、
これを説明するには雲粒がどうやって氷晶になるかについて
話さなくてはならない。
イギリスの秋は、上空2000m辺りで
気温が零下に下がる。
だとすれば、この高さより上の雲は
雲粒が凍っていると思うところだ。
ところが、ここが雲の驚くべきところの一つなのだが、
雲粒は零下で凍らない。
気温がそれよりもずっと下がらないと凍らないのだ。
はるか下の海面レベルでは零度で水たまりが凍るが、
大気中に漂う雲粒は全く違う振舞い方をする。
つまり、水蒸気が凝結して水滴になるのに
「異物の粒子」が必要な様に、
水滴が凍って固体になるのにも核、
この場合は「凍結核」が要るのだ(極寒の環境でない限り)。
そして液体であれ気体であれ、
水の分子は凝結よりも凍結のきっかけになる核の種類に
非常にやかましい。
凍結核になる大気中の粒子は凝結核よりもずっと大きい
直径0.005〜0.05ミリで、
体積にすると100~13万倍にもなる。
主に岩石などの鉱物の小片が凍結核になるが、
これが又、いくらでもあると言う訳にいかないのだ。
大気中の凍結核が少ないと、水滴はきっかけがなくて、
-35℃〜-45℃もの低温になるまで、
凍るのを頑固に拒み続ける。
ぴったりの形と大きさの核がなければ、
水滴は「過冷却状態」のままでいるのだ。
乱層雲の様に厚い雲では、
過冷却の水滴が気温の低い上部に集中している。
この水滴は上昇するほど一層冷える。
ところが条件を満たす核がなくては、
液体の状態から急いで変わろうとしない。
気温が-20℃よりも下がると、
さしもの水滴もうるさい事を言わなくなる。
こうなると、理想の形と大きさにおおよそ近ければ、
核として凍結を促すきっかけになる。
そして、理想にぴったりの核よりも、多い「まあ、いいや」の核で、
一部の水滴が凍り始めるが早いか━なんと
━全部がどっと凍るのである。
まず、数滴の水滴が外側から凍りだす。
初めは外が固くて、中はまだ液体だ。
冬に水道管を破裂させた事のある人は
覚えがあるだろうが、
芯まで凍ると水滴は膨張し、
先に凍った外側の氷が割れる。
小さい氷の破片が砕け散る。
それが他の微小水滴の氷結核になり、
小さい過冷却水滴が次々と連鎖的に凍りつくのだ。
氷晶は固体なので、微小水滴よりも
しっかりと水分子をくっつける。
だから残りの過冷却水滴の分子を引きつけて急速に成長する。
まもなく氷晶は、かなりの速度で落下する。
落下しながら更に過冷却水滴と衝突し、
それが凍りついてますます大きくなる。
雲底から下に落ちると雲の下の
暖かい空気で溶け、雨となって地上に降る。
雨が上から降るのは、たいていの場合、こうした訳なのだ。
それはベルシェロン-フィンダイセン過程と言うのだ。
(氷晶が大きくなって雨として上から降ってくる
メカニズムを発見した二人の名前に因む)
今回も、Yahoo!検索により、乱層雲、
フランキー・ライモン、真珠及び氷晶の写真を拝借しました。
「雨はどうして、上から降るのか?」
そう考える人はたくさんいるのに、解明した話を聞いた事がない。
今回、ここでよくわかりました。
又、続きもお楽しみに!
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