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BB日誌 (6/30)
本日の収穫は、13個でした。(すべてブルー・ヘブン)
ハーブ日誌 (6/30)
左:『ルッコラ』 右:『クローバー』
プランターが大き過ぎて、右の方には身近にあったタイルを敷き詰めて、
他のハーブが育つのを待っています。
ちょうど『入居者募集中!』みたいな感じです。
左:『赤丸二十日ダイコン』は芽が出ました。
4日目です。
右:『スイートバジル』変わりありません。
左:『からし菜』芽が出ました。
4日目です。
右:『小松菜』変わりありません。
雨と相談しながら、水やりをしています。
天気予報が『雨』といっても、降らなかったり・・・
悩むところです。
チリモヤ日誌 (6/30)
3日経ったので、少し落ち着いてきました。
今日のアジサイ
ピンクが少しだけ紫っぽくなったようです。
ハーブ日誌 (6/27)
ルッコラ と クローバー
大きいプランターにお引っ越し!
以前のポット自体が生分解するので
そのままプランターに入れただけ。(ラクチン!)
赤丸二十日ダイコン と スイートバジル
栽培開始!
からし菜 と 小松菜
栽培開始!
さて、どうなりますやら。
チリモヤ日誌 (6/27)
チリモヤもプランター2つにお引っ越し!
ちなみに、チリモヤは母の管轄で、
したがって、“元祖 無手勝流”です。
(時々、違う植物が見えますが、そこはご勘弁を。)
BB日誌 (6/27)
もう実も残り少なくなりました。
今日の収穫は・・・
ブルーヘブン 13個
サンシャインブルー 2個
(個数は少ないですが、ブルーヘブンより甘かった!)
今日のクチナシ
今日のアジサイ
少し、大きくなりピンクがはっきりと。
『星の旅人たち』という映画を見て来ました!
4月に旅行で行ったスペインの
≪サンティアゴ・デ・コンポステーラ≫
が主題となった映画で
主演のマーティン・シーンが、ふとしたきっかけで
キリスト教の巡礼地の一つであるここ、
『サンティアーゴ・デ・コンポステーラ』への
巡礼を踏破するというストーリーでした。
あらすじは見ようと思っている方も
あるかもしれないので省きますが、
タイトルの『星の旅人たち』の説明を・・・
≪サンティアゴ・デ・コンポステーラ≫の
サンティアゴというのは、日本語で言えば「聖ヤコブ」
キリストの12使徒(お弟子さん)の1人です。
この聖人の遺骸が祀られているため。
コンポステーラというのは「星の平原」の意味。
そこから、このタイトルになったのでしょう。
巡礼と聞くと、お遍路さんや宗教色の強いイメージですが、
もっと軽い気持ちで、巡礼路を巡る人もいるようで、
実際、スペイン旅行の時にも
若い人を始め、そんな感じの人をずいぶん見かけました。
映画の中では、熱心な信者だけでなく
まさしく、第二の人生を歩み始めようとする団塊の世代が
この主人公となって巡礼しているところなど、
身近に巡礼の旅を疑似体験できました。
中でも、最近見た景色を又見る事が出来た事は嬉しく、
パンプローナ、ブルゴス、レオン
そして、もちろんサンティアゴも行った時を思い出しました。
北スペインは、まだ旅行する人も少なく
これから、日本でもブーム(?)が訪れるかもしれません。
もしスペインに興味のある方は、
この映画で先にイメージを膨らませては・・・?
BB日誌 (6/22)
今日の収穫
6粒でした
ハーブ日誌 (6/22)
『ルッコラ』
台風4号、5号で水浸しになりました。
『クローバー』
台風により倒れた芽もありました。
オヤオヤ、ネームカードも飛んでしまった!
チリモヤ日誌 (6/22)
どれも、鉢が窮屈そう。
来週には、プランターを新しくしてあげるからね。
下は今日のアジサイ。
少しだけ色づいてきました。
大きさは相変わらず、まだ小学生くらい。
BB日誌 (6/20)
嬉しいお知らせです。
収穫がありました!ほんの2粒ですが・・・
この2枚の写真は『ブルー・ヘブン』という品種
実がたくさん付いているので、これからも順次熟していきそうです。
こちらは『サイシャイン・ブルー』という品種
少ししか実りませんでしたが、これからです。(ガンバレ!)
収穫したのは、どれも『ブルー・ヘブン』です。
大きい方は直径1.8cmくらい
この他にもあって全部で、5個の収穫です。
玄関脇にクチナシが一輪、咲いていました。
庭に親木があり、挿し木でここに移したものです。
小さな花で、うっかり見逃しそうになりました。
残念ながら、香りはあまりしません。
BB日誌 (6/16)
ブルーベリーが色づき始めました!
どちらも、ブルーヘブンの実です。
まだ、この2個だけですが、全部がこんな色になって
美味しい実が食べられる予定です。
楽しみです。
(あまり嬉しくて、慌ててシャッターを切ったら、
手前にネットがあるのを忘れて
ピンボケになりました)
ハーブ日誌 (6/16)
『ルッコラ』
何故か、紅葉し始めた?
『クローバー』
四葉になってる。(あたりまえ)でも、どうして庭の片隅にも
ありそうなクローバーを育てているんだ?
分からない事だらけの「ハーブ日誌」でした。
チリモヤ日誌 (6/16)
これが一番の成長株!
もう、プランターに移してあげなくちゃ。
鉢によっては、いくつも芽を出しています。
成長過程です。
先日、ちょっとチリモヤについて調べてみました。
(ブリタニカ国際大百科辞典より)
「Annona cherimola ;cherimoya
バンレイシ科 常緑高木、ペルー・エクアドル原産の熱帯性果実
中央アメリカやメキシコでは半野生状態
18C にヨーロッパへ伝わる
緑から熟すると灰色に変わる果実
果肉は白いアイスクリーム状
強い芳香、糖分、たんぱく質が多く、甘い
パイナップル、マンゴスチンと共に世界の三大美果・・・」
とのことでした。
今この時期、我が家の庭には去年までは、
アジサイが所狭しと咲き乱れていたのですが、
春先の植木屋さんのお陰で、
ほとんど咲いていません。
たった一輪咲こうとしていました。
まだ直径5センチくらいの赤ちゃんです。
でも、大切にしてあげよう。
今、庭に咲いているナンテンの花。(白?)
結構、きれいです。
訪問者も、発見!
アゲハチョウでした。
雨の中を、ご苦労様。
ようこそ、お出で下さいました!
今年の2月に、私は白内障の手術をしました。
その節は、皆さんにご心配をおかけしたり、
はたまた励ましの言葉をたくさん頂きました。
有難うございました!
ただし、私は白内障プラス老眼でした。
という事は、白内障が解消されても老眼自体が
治った訳ではないので、時期を見計らって、
ようやく、先生から「”メガネ”を作ってもいいですよ。」
の声を聞いた時は・・・
『神』の声のようでした。
白内障を心配し出した頃から、
それまで使っていた遠近両用メガネは、
私の目とは相性が悪くなり、
もちろん、遠くの物は比較的見やすいのですが、
近い物になると、パソコンも本や新聞や手紙を書くのにも
とても苦労していました。
この虫眼鏡はライト付きでしたが、
使っているうちに小さなライトが切れて・・・
これは、父の形見です。
生前、父が大事にしていた物ですが、今では
私が使わせてもらっています。
ただし、大きく重いので・・・
次には、こんな携帯用の物を買いました。
旅行の時は、付いているLEDのライトが有効的でした。
しかし8日、ようやく新しいメガネが出来てきて、
今は大変幸せです。
以前作った時は、比較的価格の高いメガネでしたが、
今回は最近では、あちらにもあるこちらにもあるという、
価格の抑えられたメガネです。
でも今現在、パソコンを見ていても
「昨日までは、大変だったなー。」と思いながら
感慨深い気持ちです。
同じ日に、上野でやっている
『インカ帝国展』に、行ってきました。
展覧会場に着く前に
道端に広がって咲いていたのは、『金糸梅』でした。
母のたつての希望で、前回もここで『シカン展』を見たのですが、
今回は━マチュピチュ「発見」100年━を記念しての開催との事です。
展示品には、ちょっとビックリするような
”ミイラ”が数体あったり、素晴らしい技術の織物や
木製品、金銀銅製品、そして飛脚による伝達システム・・・
インカ帝国すべてを網羅した集大成のような展覧会でした。
インカ帝国が、西暦1476~1533年くらいの間にかなり広大な地域を統一していたのに、
ちょうどその時スペインに侵略されて、300年間植民地時代へと・・・
インカ帝国からの視点で見ると、
そのまま発展し続けていたら、もっと南米が世界に重要な地域となったのではないか。
そんな気もしてきました。
最後に、『マチュピチュ』を3Dで表現した
3Dスカイビューシアターが圧巻でした。
そうそう、一つだけ残念な事がありました。
それは、水曜日はレディースデイで、
入場料が女性だけ安くなるのですが、
私たちが行ったのは、金曜日でした。
これから、行かれる方がありましたら、是非水曜日に。
層雲の第三回目です。
(3/24の続きとなります)
いつもの様に、ギャヴィン・プレイター=ピニー氏の
『「雲」の楽しみ方』からの抜粋です。
層雲
(つづき 02)
地表近くに漂う雲はどんな時に霧と呼ばれ、
どんな時に靄と呼ばれるのだろうか。
公式には視程で区別される。
つまり、どれくらいまで先を見通せるか、だ。
a
気象観測では、視程が1キロ以下なら霧、
1キロ以上なら靄という。(層雲もないのに
1キロ先が見通せなかったら、それはただの近眼だ)
霧と靄は微小水滴の大きさと密度の点でも異なる。
水滴のできるメカニズムを説明するのに、
ここでは霧(霧粒)の話をしよう。
霧には主に移流霧と放射霧があり、
この二つは成因が異なる。
1979年のジョン・カーペンター監督による
ホラー映画『ザ・フォッグ(霧)』で、港町アントニオ・ベイに
不気味なスピードで迫ってきたのは移流霧だ。
層雲を主人公にした映画はこれしか
私(ギャヴィン氏)は知らないので、
この映画が傑作映画と言い難いのは残念だ。
それでも、移流の作用で発生する
霧のあらましを知るには、手頃な材料になるだろう。
アントニオ・ベイの誕生百年祭の前夜、
真夜中にこの小さい港町が海から広がってきた濃霧に包まれる。
住民がとりわけ恐れたのは、霧に隠れている「恐ろしい悪魔」だ。
その正体は町の創立者たちに追い払われて
海に帰された難破船の乗組員だった。
濃霧の中で見殺しにされた水夫たちは、
体の溶けかかったゾンビとなって復讐しに来たのだ。
予告編ではかすれ声のナレーションがこう囁く。
「ドアをお閉めなさい。窓に鍵をお掛けなさい。
霧の中に何かがいる・・・」
a
霧のゾンビが迫ってくる時にアントニオ・ベイの住民たちが目にしたとおり、
移流霧の成因は気流だ。
水蒸気を含んだ空気が冷たい海面や地面の上を流れて発生する。
春から初夏にかけては、
暖かい海上で湿気をたっぷりと吸った空気が冷たい海上に流れて
霧粒を作り、移流霧になる。
移流霧は主に海の上で発生する事から、またの名を「海霧」という。
放射霧はその逆に、海上では発生しない。
もっぱら陸上で、しかも穏やかに晴れた風の弱い夜に発生する。
地面が熱を放出して冷え(放射冷却)、
そこに接している空気も冷えるのが成因だ。
空気の大きな移動は必要ないが、
ゆるゆると動く事で下層の空気に冷却が広がり、深い霧になる。
地表近くに生じるこの雲は、上空の雲がない時に現われやすい。
放射霧は雲界の一匹狼なのだ。
上空に雲が出ている時はそれが覆いの役割を果たし、
地面が放出した熱をいくらかはね返して、
夜間に地面の温度が大きく下がるのを妨げる。
雲の覆いがない晴れた晩は地面が急速に冷え、
空気中の水蒸気が凝結して霧になるのに理想的な状態を作り出すのだ。
夜の長い秋と冬は特に放射霧が発生しやすい。
風が強くなると、乾いた空気と混ざって霧の層が散らされ、
放射霧は晴れる。
しかし、秋と冬の風のない穏やかな朝は、
太陽が昇って地面が暖まってくると霧の層が少しずつ上に浮かんでいく。
水分子は空気からエネルギーを得て、
霧粒と結合するよりも先に霧粒から離れる。
霧粒は蒸発して水蒸気に、
すなわち分子として飛び回っている目に見えない水に戻るのだ。
とりわけ濃い霧がこの様にして浮かび上がると、
低いながらも空を覆う層雲になる。
霧の層が薄ければ、地面に近い中空にしばらくとどまる事がある。
a
移動霧と放射霧は最もよく見られる霧だが、
霧はこの2種類だけではない。
蒸気霧は、暖かい水面上に冷たい空気が流れ(放射霧と逆)、
水面からの水蒸気が急速に冷やされて霧になったものだ。
煙の様に立ち昇る水滴は、蒸発作用が目に見えるようになったものである。
水は海面から水蒸気として常に上昇しているが、
普段は目に見えない。
極地方で見られる蒸気霧は最も印象的で、
「北極海煙」の名で知られている。
滑昇霧は、空気が山腹に沿って上昇する時に、
気圧がさがる事で空気塊の温度が低下する(断熱冷却)為に発生する。
谷霧は山頂で夜間に空気が冷やされて重くなり、
谷に流れ下りてたまったものだ。
霧氷霧は気温がごく低い為に霧粒が過冷却状態になったもので、
それが物体にぶつかると霧氷になる。
氷霧はそれとは別で、この場合は霧粒が凍って小さな氷の結晶になる。
気温がマイナス30℃以下になる極寒地でしか発生しない。
氷霧は日光を浴びてキラキラと美しく光る。
氷粒がもう少し大きいダイヤモンドダストもそうだが、
日の光を受けた氷霧が生む美しい光の現象は、
氷でできた高い空の雲の卷雲と卷層雲にもよく似たものが見られる。
霧の中でも、氷霧の宝石の様なきらめく美しさは幻想的で格別だ。
アルフレッド・スティーグリッツ
本物の雲もいいが、
私(ギャヴィン氏)は雲の写真を眺めるのも好きだ。
手を加えられていない写真がそのまま抽象芸術に昇華した感じがする。
自然を記録し、
同時にその時の感情を表現したものと言っていいのではないだろうか。
アメリカの写真家アルフレッド・スティーグリッツもそう感じていた。
スティーグリッツは1922年に、
「等価物」とのちに名づけた一連の雲の写真を撮り始め、
雲に芸術的価値を見出して、
雲だけの写真を撮影した最初の写真家となった。
等価物とは、高コントラストのモノクロ写真だ。
初めの数年は風景写真もあったが、
1925年以降、スティーグリッツはカメラを空に向けて
雲だけをフレームに収めた。
彼は雲の写真を自分の心の状態だと考えていた。
「私は生命の姿を想像する。
そしてその等価物を探そうとしている。」と
友人への手紙に書いている。
抽象芸術への情熱は、
写真を芸術の一形態とみなす事へとつながった。
二つは対立する物に見えるかもしれない。
芸術はリアリズムを否定してこそ前衛足りうるが、
写真は本質的にとりわけ具象的だ。
等価物シリーズの雲の写真には、
スティーグリッツがこの対立をいかにして解決したかが表われている。
雲は自然の抽象芸術━空の気分━であり、
写真で感情を表現する為の完璧な被写体なのだ。
「私はそれまで誰もしなかった事をした━そのアプローチは時として音楽に見られる」と
スティーグリッツは友人に書いている。
「私は雲を通じて人生哲学を書き留めようとしたのだ。
私の写真が被写体によって成立する物ではない事、
つまり特別な木や顔や室内、あるいは
特別な権利に頼ったものではない事を示そうとした。
雲は誰にでも手が届く。
いまのところ税金もかからない。」
a
沈む太陽と共に家路に帰り着こうとする頃、
雲に隙間が出来て、そこから高い空に浮かぶ
薄い雲の一片がのぞき始めた。
氷粒で出来た卷雲だ。
低い雲は暗くなっていたが、
その上の卷雲はまだ太陽の光を浴び、
黄金色のすじ雲が暮れていく冬の空に映えて輝いていた。
私(ギャヴィン氏)は嬉しくなった。
陰鬱な層雲は晴れ、
アメリカの詩人ジェイムズ・ラッセル・ロウエルの言葉が浮かんできた。
誰が知ろうか、雲がいずこへ逃げてしまったか
天には足跡さえ残さずに
目は雲の流した涙を忘れ
心は雲の悲しみを忘れ去る
雲ウォッチャーにとって、
天空の広がりは隠していた姿を現した時にこそ心にしみる。
たなびく靄や霧となって地上を訪れようとする雲を、
私(ギャヴィン氏)は、なじってしまった。
一日中空が晴れ渡っていたら、
これほどの幸福感に包まれるだろうか。まさか。
層雲は奇術師のスカーフだ。
何もかも消え去ったと思った瞬間にさっと取り去られる。
すると、そこには壮麗な空の景色が広がっているのだ。
写真は"a "と付いたものは私自身の撮影ですが、
それ以外は Yahoo!検索で調べました。
前回の「雲の研究」は2ヵ月前でしたが、
その後MLB開幕戦があったり、旅行があったりして
層雲のつづきが遅れてしまいました事をお詫びいたします。
層雲については、この回で終了です。
次回は、「層積雲」の予定です。
今回から、最近入手した「『雲の言葉』 300語」
という本より、雲に関するうんちくを少しご紹介します。
≪雲間の鶴≫ (うんかんのつる)
雲の中を飛ぶ鶴、転じて俗人からはるかに傑出した人物。
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